懐かしい食堂

 たまたま、用事で近くにきたので、昔よく行った食堂、キッチン××に久しぶりに入った。カウンター席七つばかりの小さな洋食屋で、陽気なおじさんとしっかり者のおばさんの夫婦でやっていた。味は最高というのではないかもしれないがおいしい。庶民的な味で、キッチン××独特の味とメニューがある。ボリュームがあって値段も安かった。人気もあった。けっこう通いつめていると、おまけに唐揚げとかをサービスでのせてくれたりするので、うれしくなる。
 初めて行った時からずいぶんたつけれど、おじさんもおばさんも全然変わったようには感じられない。店も改装せず、以前のままだ。それが菅井にはおちつき、入りやすい。
 だが、その日はちょっと様子が変わっていた。いつも料理を作って出してくれるおじさんではなく、いつもは脇でサポートしていたおばさんがつくっている。そして、おじさんはしょっちゅう、おばさんにおこられているのだ。たとえば、まだできていない料理の鍋の火を止めてしまったりして、まだでしょう、もう一回つけて、なんておこられるのだ。
 おじさんはぼけてしまったのだ。ショックだった。おばさんは、前のように動いてくれないおじさんにいらだって口がきびしくなっているのだ。
 町の小さな食堂。前には、たくさんの貧乏な学生や夢を求めて集まった若者たちでにぎわったお店。だが、どうみても、お金をたくさん貯めこんだとは思えない。今でも客はとぎれないから、支持されているのだろうが、楽であるはずがない。夫婦の一人が動けなくなったらどうなるのか。
 どうにもなりはしない、というのが資本主義の解答である。(年金というしくみはあるにはあるが結局は)自己責任で守っていくしかない。競争社会で、勝者と敗者が出るのはあたりまえ。社会はそんなことに責任はないのだ。

 菅井は想像してみる。この食堂のおかげで育っていった若者はたくさんいる。その人たちがおじさんのことを知ったら、なんとかしてあげたくなるのではないか。この食堂を愛し利用した人たちが実情を知って、その人の現在の余裕と感謝の気持ちに応じて基金をつのったら、キッチン××と夫婦のこれからをサポートすることもできるのではないか、と。
 だが、大多数のかつてこの店に通った人々は、おじさんのぼけを知らないし、キッチン××が今もやっていることだって、知らなかったりするのだ。

 おじさんの笑顔も挨拶も、定食の味も以前のままだった。