民族の心

 はだかの王様は平和を願う心をおけがしになる気のようだ。

 8月15日に小泉は、靖国神社を参拝するつもりだと語っている。一国の首相が、日本がアジア・太平洋戦争を起こしたことを肯定し、やったことを侵略ではないと主張し、その時の戦争責任者たちをまつっている神社へと、戦争の終わった厳粛な記念の日、平和を祈るその日に訪れる。8月15日をけがす行為として、これ以上のものは想像することができない。
 小泉は平和を願うなどというが、ネットウヨも正直に言っているように、これは、ポツダム宣言東京裁判を否定し、ついでに日本は悪くなかったという自己肯定の夜郎自大史観を言い張る行いなのである。ごまかしとわかっていてそれを支持する連中の性根も曲がっているが。

 中曽根康弘元総理が、小泉の靖国参拝に反対している。彼の主張は、東京裁判は否定するが、日本がやったことは悪いことであった、それは外国がなんといっているかとは関係ないというものである。靖国からA級戦犯を取り去れば解決する。実際には、帳面に名前が書かれているだけなのだから。天皇だって靖国に行けるようになる。日本の支配層のかなりの部分は、今、このあたりで状況をのりきろうとしているようだ。読売紙面のトーンの変化はあまりに明白である。ナベツネ路線はどうやら読売内部を説き伏せたように見える。

 小泉が8月15日に靖国神社に総理大臣でござい、などと言って参拝強行すれば、その勢力は言い逃れのできない、日本民族の敵と決定するだろう。民族の心がわからないものが、こころの問題などといっても、お笑いなだけである。まちがった戦後民主主義理解、「なにをやってもオレの勝手でしょ。」ではないか。
 民族の心がわからない者には、他民族が自らの誇りを蹂躙されたことへの怒りも理解できない。これまた、戦後民主主義のあやまてる理解の申し子たちと言う以外にはない。

 イスラエルは、このたびのレバノン侵攻で、もはや世界を構成する一国として生きていく最後の資格を失ってしまった。ユダヤ民族はどうするだろうか。「私は悪くない」を言い続けるのだろうか。






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 女優の吉永小百合さんが、原爆ドームの近くに立つ高層ビルの建設に反対することを表明したそうだ。これを聞いて、菅井は、皇居のそばに高層建築が立つ事を天皇の生活がのぞかれて不敬であるから、禁ずるべきだという議論があったのを思い出した。
 資本主義の唯「モノ」論なら、非合理な心理として、どちらも一笑にふすだろう。だが、それは違う。
 菅井は、広島・長崎の原子爆弾の犠牲に対する思いこそ、日本国民が、アジア・太平洋戦争を通して自覚した、「戦争はもう二度とくりかえしません」の心の象徴であると考える。天皇を日本の象徴と考える天皇主義者が、皇居をあざわらうかのように建つ高層建築に憤るのは当然であり、菅井は、平和主義者として、唯「モノ」論ではなく唯物論者として、原爆ドームを冒涜する高層ビルの建設に反対する吉永さんの行為を支持する。勇気のある行動だと思う。