現状追随を批判する必要

 日本人の国民性には現状追随の傾向がきわめて強いという弱点がある。その時の主流に流されやすく、無批判である。しかもそうであることの自覚が弱い。
 大日本帝国を支えた軍国官僚が、さしたる躊躇も、思い悩みもなく、戦後アメリカ追随になったのも同じである。日本軍国主義の東條内閣閣僚であった岸信介もその一人で、アジア太平洋戦争敗北後は、A級戦犯容疑で収監されながら、アメリカの世界戦略の転換によって訴追されることはなくなり、アメリカの資金援助を受けて、対米従属の大本である日米新安保条約をつくった。反米から従米へシームレスにつながっている。人脈と、荷なう階層という点から見れば、日本国は大日本帝国そのものといっていいほどである。公職追放という占領軍の措置、憲法の変更、民主化などの措置にもかかわらず、表面的な変化をしかもたらさなかった。
 これを別の言葉でいえば、倫理がない、無責任、ということになる。

 だが、明治維新政府成立の時の幕府官僚は違っていた。徳川の禄を食んでいた以上は、主君とともに、江戸を出、三河の本拠地についていくのが正しいと当然のように思っていた。静岡が現在お茶の産地となったのは、そうして江戸から移り住んだ幕府家臣たちの努力のたまものであるという。その彼らを、これからの日本国のために、節を曲げても、明治政府の職につくよう、説得し、また、明治政府に働きかけたのは、勝海舟である。勝の説得を受けた幾人かの優れた人材が内部に入り、過激派、薩長政府のカルト化はある程度防がれることになった。

 今の時代で、誰がどのようにモラルがないか、ここでは述べないが、今日、そんな話をなぜ書いたかというと、ライブドアニュースに個人通信員氏が書いた「総人口減少の時代到来」という題の記事を見ていて思いついたのである。

 この文章は、「 総務省が《8月》4日に発表した住民基本台帳による人口動態によれば、全国の人口は1968年の調査以来、初めての減少となった。」「少子化、高齢化がいっそう進展した結果である。」とし、今年、いよいよ日本の人口が増加から減少に転じたことを伝え、スエーデン、フランスなどの出生率回復の経験に学ぶこと《子供をもつ家庭に経済的優遇措置を行う》を主張するもので、その意見には菅井も賛成であり、趣旨には何の異存もない。

 だが、それなら題名は、「今年遂に日本人口減少へー急がれる出生率回復の方策ー」などとするべきだ。「総人口減少の時代到来」では、人口の減少傾向という現象は、運命であり、人為によって変わりうるものではないように受け取れてしまう。
 個人の責任で書く個人通信員、パブリック・ジャーナリストというのは、微妙なポジションだが、個人の意見にすぎないものではなく、世論形成、喚起をも含むマス・メディアの一部として存在しているので、特に注意して題名をつけていただきたいと思う。