終戦記念の日

 きょうは、終戦記念日である。
 日本が明治維新以来、国是としていた富国強兵策、つまり周辺諸国帝国主義的侵略を通して、列強と戦う力をつけて最後には打ち破るという政策を止めた記念すべき日である。
日本の戦争は、この日を限りとして終わったのである。


 その外交政策は、幕末長州の吉田松陰が立て、実現の速度についての意見の相違はあったが、弟子たちの作り上げた明治維新政府が国を揚げて、その通り実行していったものだった。それによって日本はアジア唯一の帝国主義国となり多くの国を侵略植民地化したが、アジアの近隣の国からは孤立し、英米帝国主義に勝つ事もできなかった。そして、たくさんの犠牲が生み出された。ショーイニズムは、そのまちがった外交方針、攘夷思想によって、アジア太平洋戦争にまで至り、ついには民族滅亡のせとぎわまでいってしまったのである。外圧に屈したとはいえ、日本がその方針を止め、戦争を止めたのはよいことだった。

 一つの外交方針が挫折した以上は、歴史の中にあって捨てられた、もう一つの選択枝こそが取り上げられねばならなかった。吉田松陰ではなく、横井小楠の、対等なアジア国家どおしのつながりを通しての道義的なアジア連合によって、帝国主義と戦う道である。これは、横井小楠の影響を強く受けた勝海舟が主張していたものである。幕末に死んだ坂本龍馬も勝を通じて小楠思想に感化された。ただ、幕臣上がりの勝は、明治維新政府の中では、外様であり、朝鮮出兵、台湾征伐、日清戦争、と、侵略方針のその度ごとに反対するのだが、取り上げられることはなかった。それがいよいよ日の目を見るべき時が来たのだ。

 だが、一つの外交方針の誤りが最終的に破産してもう一つの方針に転ずるには、実は、一つの障害があった。現実の敗戦日本は、連合国軍、実はアメリカ軍にに占領されていた。これでは日本人が侵略方針を悔い、新しい外交方針を実行しようとしても、できない。平和条約が結ばれ、その数年のちには、米軍の占領も終わることになった(安保条約とはもともとその間の移行措置であった)。それにより、日本は、自主的な政治の決定能力を手に入れるはずだった。
 だが、日本帝国主義のかいらい国家・満州国をつくり、東條軍国内閣閣僚、戦後はA級戦犯に指定されながら、アメリカの日本支配の方針が、軍国主義日本の解体と民主化から、日本を反共の防波堤とするに変わり、それにともなって訴追を免れ、アメリカの工作資金に援助され、総選挙に勝利した岸信介が、1960年、アメリカの意向を受けて、日本をアメリカ軍の恒久的な基地国とする日米新安保条約を取り結んでしまった。駐留という名の実質的占領状態の継続はここに始まったのである。そして、日本が新しい外交を選択するチャンスも失われ、アメリカ従属で、独自の外交能力を持たない国が生まれ、軍隊をもたず平和主義外交に徹するという最高法規の実行はサポタージュされることとなったのである。

 
 8月15日の終戦記念日を日本だけの終戦記念日ではなく、世界の終戦記念日とするための、断固とした決意と実行力を持った日本国政府が求められている。(8月15日を解放記念日独立記念日とする国があることはもちろん当然のことであるが)


 日本を対米従属の鎖につないだ元凶・岸信介の孫、安倍晋三は、現在、アジアからの孤立、アメリカにすがる国家運営を小泉から引き継ごうとしている。彼は、山口県へいき、吉田松陰以来の長州藩閥に属することを改めて宣言した。
 だが、松蔭は、彼のまちがった拝外主義、日本中心主義にもかかわらず、日本を、欧米列強の奴隷としないためにその方針を立てたのであり、岸、小泉、安倍らが達成したアメリカに半ば占領された今の日本を見て、安倍ごときが自分の衣鉢を継いでいるなどという妄言を許すはずがない、と菅井は思うのであるが、いかがであろうか。

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《付記》 これを書いてみて、この内容は、菅井が敬意を抱く若き平和主義者の一人、ipoddotnanoさんのブログの、1月22日づけの文章に書かれていたことと、言葉とアプローチは違うが、同じ結論であることに改めて気がついた。平和主義の根本綱領としてはこれあるのみ、と自信を深めると同時に、真理を共有する友を持つ喜びを感じている。ipoddotnanoさんの先進性に敬服するとともに、ご活躍を祈っている。