テーゼ補遺1

日本の右翼は明治初期の不平氏族の反乱に端をはっし、日本の左翼は明治20年代の自由民権運動に端を発する。
今のネット右翼・2チャネラーに流布している常識の誤りは、かつて左翼が立論した言説の一面性にまどわされて、左翼ばかりでなく、右翼もまた、明治国家(官僚制)にとって反体制であったという、根本を見失っていることである。
そこで、「保守」と「右翼」の混同という救いようのない混乱が生じている。
「右翼」「左翼」をフランス革命議会での座っていた場所のちがいから、保守と革新の言い換えであるとする見解は、「右翼」「左翼」という言葉の語源という点では正しいが、日本の現時点でのこの意味を解明するには、役にたたない。だいたい、フランス革命議会にすわっていた議員は、右も左も、王の支配を打ち倒した革命家だったのである。


論議に基づいていると主張しているネット右翼の大半の思考様式は、法的思考である。その論証なるものも。基本的にはそれである。彼らの大半は、東京裁判という、権威を否定しながら、彼ら自身、「裁判」のように物事をとらえている。彼らは自分たちの思考の地盤が絶対であると思いこんでいるが、遺憾ながら、そうではないのである。彼らのやっていることは、歴史的に見るならば、ヨーロッパの魔女狩り「裁判」に最も近い。


国家の否定を何か、おそるべきことのように言う人々がいるが、そんなことはない。我々は、ついこの間、アメリカの軍事力によって、イラクという国家が破壊されるのを見たばかりではないか。いや、外国のことを見るまでもない。かつて、140年程前、江戸幕府という国家は、大政奉還という方法で、みずから、自分自身の国家を解体したのである。その結果、新たに生じた国家は、結果として明治維新政府、後の大日本帝国となったわけであるが、別だん、国家の解散自身は、大変なことでもなんでもない。時期が来れば起こるものである。ソ連の例をあげると納得する人もいるのではないか。菅井の見解はともかくとして、多くの人々はまぎれもなく存在していた強国ソ連が、エリツィンらの手によって手もなく解散したことを知っている。
壊れるべきものは壊れる(イラクなどのように、本来まだ壊れる時期でないものを外力によって壊すことは、神をも畏れぬ大「犯罪」である。アメリカは、今、世界の中でそのような大「犯罪」国家であり、今の日本国家がそのお先棒担ぎであることはあまねく知れ渡っている)のであって、そのあとをどうするかは、その国の人々が考え、決めることである。
ただそれだけのことである。