フランス革命の日

きょうは、7月14日 フランス革命の起こった記念日。
バスティーユ監獄の襲撃にはじまり。
赤白青(紺)の三色旗がシンボルとなり、革命政府によって国旗とされた。
自由・平等そして友愛。


日本は、市民革命の経験なく、いまだ諸民が政治主体となれるという意識が形成されていない。


主権者の意識は、革命を実行したことがなければ、血肉とはならないものなのだ。


なのに、ここにきて、日本の明治以来の国家の寿命がつきてしまったかのような、だめだめ現象が起きている。
だが、諸民の側にしっかりした連帯組織が作り出されているようには見えない。
政党も、一貫した政策の体系も、まだない。自然発生的な共同関係もない。
ようするに、ちゃんとした主体がまだできていない。
これでは国家の死滅はまだ、遂行しようがない。


だから、今の明治維新以来の国家のあとにも、特殊な国家権力をつくりださなければならないかもしれない。
それは、それが諸民の政治的覚醒と連帯の経験をつくりだすような、システムでないとまずいのだが。


だが、それがあってはじめて革命を可能にするもとのものを、革命によって作り出すというのは、順番が反対である。
ロシア革命でも、それはうまくいったとはいえなかった。
民衆は、ニヒリズムと自分自身に対する不信をのりこええたか。



実は、ロシア革命の時と今の日本の状況が似ているような気がする。


あのときは、戦争をやめること、平和をもたらすことが、必要で、皇帝の政府もブルジョアの政府もそれをもたらすことが
できなかった。社会主義だからとか、そういうことではなくて、労働者と農民に支えられたレーニン派だけが戦争をやめられたから、最終的にレーニン派に権力がいった。権力をとらざるをえなかった。


今の日本では、東北震災と、福島原発事故を解決することが求められているが、民主党も、自民党にもそれができない。
それをできる政府なら、共産党でも公明党でも幸福の科学でも権力につくだろう、という感じだ。
レーニンにあたるのが、小沢氏のポジションに見えたりする。

もちろん期待とご本人の姿とは一致するものではないのだろうが。


脱原発ときわめて長期にわたる廃炉放射能管理の必要は、どうみても、利潤動機で動いているだけの資本制社会では不可能なのではないか。まだ、条件が整っていないとか、時期尚早である、とか言っていられるほど猶予もない気がしてならない。



革命とは別のもう一つの選択、小松左京氏の描いた、日本の解体と、日本人の世界中への移住脱出(小説「日本沈没」のことだ)にだって、
ちゃんとしたリーダーシップは必要である。