小泉首相はなぜモンゴルを訪れたか

 小泉総理はモンゴルを訪れたが、新聞報道を見るならば、これは単なる親善訪問ではない。


 読売社説によれば、モンゴルには昨年あいついで、ブッシュもラムズフェルドも訪問し、アメリカとの軍事も含めた協力関係を打ち出したのだそうで、8月11日からはアメリカ・モンゴル共同軍事演習がスタートしたばかりという。現在、中央アジア地域では、米軍基地の撤廃が進んでおり、キルギスのみになっているところなのに。モンゴルはアメリカの戦略的拠点としてねらわれているのだ。
 モンゴルは1990年まで、社会主義国家であった。それが市場経済移行後、日本はずっと大量の援助を供与してきたのだという。モンゴルの首相は、この16年、ということは社会主義崩壊以後ということだが、8回も大統領、首相が訪日しているとのことである。


 1990年ころ、社会主義世界経済が崩壊して以降、キューバや朝鮮などの小国が困難な経済再建を強いられたと前に書いたが、社会主義を放棄するという対応をした、小国とはいえないモンゴルの経済運営も、深刻なものがあったようである。


 その片鱗は、たとえば、日本からの援助の一形態と思われるが、「モンゴル国獣医サービスメカニズム構築プロジェクト」という非営利団体のページからうかがわれる。それによれば、

 《モンゴルの家畜の皮は世界の皮需要の10%をカバーしている。モンゴルでは計画経済時代には皮革製品を多く輸出していたが、1990年以降の計画経済から市場経済への移行過程において、皮革加工工場が民営化されて、多くの人がこれらの工場の資本を所有するようになった結果、効率的な意思決定ができずに経営に困難をきたす企業が続出し、皮革製品の生産能力は著しく低下した。一方、寄生虫対策といった獣医サービスが民営化・有料化されて利用されなくなり、その結果家畜の皮の質が通常の皮製品を作れないレベルにまで低下したため、現在では"ウェットブルー"という半加工製品を中国へ輸出し、イタリアや韓国からなめし皮や最終製品を輸入するようになってしまった。》


 また、同様な、「モンゴル国酪農モデル農場プロジェクト」の説明には、

 《モンゴル北部の大都市(ウランバートル、エルデネット、ダルハン)の近郊では、社会主義時代には多くの大・中規模の酪農場が存在して、牛乳や乳製品をこれらの都市住民に供給していました。1990年からの社会主義の崩壊とともにこうした酪農場が解体された結果、個々の牧民によるごく小規模な酪農家が散在することとなり、同時に牛乳の集荷システムが崩壊することによって、道路アクセスの悪い地域では都市への牛乳・乳製品の輸送・販売が事実上不可能となってしまいました。加えて、酪農家に対する技術支援がほとんど行われなくなったことから、乳牛による牛乳の生産性が低下してしまいました。こうした構造的な問題により、現在のモンゴル国は、粉ミルクやロングライフミルクの輸入国となっており、一方、酪農家の所得は非常に低い状況にあります。》とある。


 また、深刻なかんばつ被害に対して井戸を、というプロジェクトの説明には、

《計画経済時代には、井戸の掘削・維持管理は行政や牧業協同組合(ネグデル)が担っていましたが、市場経済の導入以降は、ソム(郡)や遊牧民に井戸の管理が任されることとなりました。しかしながら、資金・技術の不足により、井戸が故障すると牧草地を放棄せざるを得ない状態にあり、そのせいで家畜が夏の間の栄養を満足にとれず、これがゾド被害(旱魃被害のこと)の一因となっています。》となっている。


 また、すでに終了してしまった、「モンゴル国食肉流通プロジェクト」については、

社会主義時代のモンゴルでは、政府が強制的に食肉を流通させていましたが、社会主義体制の終焉、市場経済の導入とともに、流通システムが崩壊し、市場から遠いところに住む遊牧民は、肉が売れなくなってしまいました。彼らは、カシミヤヤギからしか現金収入が得られず、その結果ヤギの飼養数が急速に増えています。
ところが、ヤギは草の根まで食べてしまうので、草地が回復しないで砂漠が拡大し、遊牧の継続が困難になりつつあります。
そこで、私たちは、こうした遊牧民たちから羊を大量に購入してウランバートルで販売する、あるいは特産物を開発する、などといった活動を通して、遊牧民にとってカシミヤヤギ以外の現金収入の道を探り、モンゴル人のアイデンティティーである遊牧社会の維持に力を注いでいます。》と書かれている。


 このような文章を読むと、社会主義の良かった点を宣伝してくれてるみたいだな、と思う一方、援助プロジェクトの人々の努力と試行錯誤の大変さに驚かされる。しかし、新しい流通のルートができたというところまでは行かなかったようだ。


 これらの援助事業は、社会主義の崩壊で、従来の計画をたてていた政府のシステムがなくなってしまったので、その代わりに、援助プロジェクトが計画をたてる頭脳として動こうとしているようにも見える。

 社会主義崩壊後のモンゴルの経済が崩壊してしまわないように、支えているのが日本の援助である、ということなのではないだろうか。だとすれば、モンゴル国は日本やその同盟国アメリカの意向に逆らうことはできないだろう。


 菅井は、1945年以降の日本国については、アメリカ帝国主義とは違い、帝国主義国であるとは思わない(帝国主義的な経済進出ということは言えても)のだが、このモンゴルに対する小泉首相の訪問からは、かつての帝国主義日本の、朝鮮や満州に対したものと同じ匂いがしてくるのである。