ジュネーブ条約「武装をしていない国を攻撃してはならない」

パレスチナ情報センターというサイトのスタッフノートに
10.30付で《検問所にて、ある「子ども」のイスラエル兵と「大人」のパレスチナ人の対話》と題する文章がのっている。読んでいろいろなことを考えさせられた。
 検問しているイスラエル兵は20才くらい、アラビア語ができるわけではないので、パレスチナ人に対しては
《シンプルでカタコトのアラビア語で、「ミン・ウェーン・インテ?(どこから来た)/ウェーン・ライエ?(どこへ行く)/ウェーン・サーキン?(どこに住んでる)」》
というだけ、
 もしそのパレスチナ人がヘブライ語イスラエル人の言葉)ができる場合には、ヘブライ語でしゃべり、ヘブライ語での返答を求める。どちらも、コミュニケーションにはならない。ただ、両者が英語ができて、英語でやりとりする場合には、気晴らしでつまらない質問をしてくることがあるのだそうだ。そういうときに、それをきっかけにして40台のパレスチナ人の大人が、20くらいの若いイスラエル兵と話したやりとりは興味深かった。
 その時菅井の思ったことは、
 外国へ兵隊として出て行くということはどのような状況になるのか、ということ、そして、イスラエルでも、他の国でも、20才はまだ子供なのだのだ、ということだ。
 地域の共同社会が濃密な時代には、20才であっても、自然かなりの社会的人間関係の訓練を受けて大人になりやすかったかもしれないが、今の社会では、20才ではまだそうした経験学習はできない。アフリカでは、子供兵がつくられて、問題になっているが、ことは20才であっても本質的に変わらないのではないか。戦前の日本でも、軍国主義は少年たちにしみとおった。好んでも好まなくても、軍隊をもち、外国に出ていくということは、20くらいの兵士たちがバレスチナでやっているようなことをすることなのだ。

 日本は60年間、戦争をしなかった。戦争で死んだ日本人も、戦争で人を殺した日本人もひとりも出していない。それは誇るべきことのはずである。本来、他国に対して、日本の国柄(平和主義ということだ)をきちんと説明すべき立場であるはずの小泉前首相は、その職責を果たさず、憲法を逸脱して海外自衛隊派兵で、外交官、民間人の戦争犠牲者を初めてつくりだした極悪人なのである。まだ、戦争で他国人を殺した自衛隊員は出ていないが、それも今のようなやり方を続けるなら、時間の問題であろう。そうなったら、もちろんそれは自衛隊員の責任ではなく、小泉およびその後継政府の責任である。日本人の誇りを踏みにじったのは小泉と、それと縁をきらない日本国家と、あとそれに追従しているネット右翼たちである。