いじめを訴えての自殺予告相次ぐ

 自殺まで考えての訴えであるからこそ、いじめに抗することができる。

 「いじめはなくならないし、悪くない、いじめられる子に原因がある」、これが、今の日本の支配的な考え方だからである。支配的な考え方においては、いじめ問題というのは存在しないのである。
 これを大人のいたずらと見る石原慎太郎東京都知事の言説だばかりではない。
 最初の手紙を公表した文部科学省を批判して、「こんなことで大騒ぎをすれば、今度は全国からたくさん同じような手紙が届くだろう。同様の処理をしようと思うとどれだけの手間がそれにさかれ、結果としてどれだけの重要な仕事が後回しになることか。そんなことに国家予算を使わないで欲しい」というような言説にもそれは現れている。こういうことを言う人の「後回しにされては困る重要な仕事」の中に、いじめ問題がはいっていないことは疑いない。
 私は、文部科学省ヘであれ、どこヘであれ、いじめられている者がいじめを不当であるとはっきり自己表現することは正しいと考える。たとえ、黙殺されたとしても、その行動自身が当人を強くする。いじめられて追いつめられている子は、自殺予告の手紙を書く方が、むしろ生き残れる可能性は増える。

 石原慎太郎は、強い親の後押しを想定してだろうが、いじめと戦えとあおっている。だが、権力者石原慎太郎の息子のような、金持ちの坊ちゃんばかりがいじめに逢うのではない。その場合には、抵抗はさらなるいじめに遭うのである。いじめが悪いという単純な真理さえ否定され、いじめはないことにされてしまうのである。

 手紙を書いて出してみたあとで、死ぬ以外に自分にできることがまだあると思えてきたら、それをすればいい。
 最初の少年は、まだ死んでおらず、二度目の手紙を送ってきたようである。

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 《やらせ質問「教育基本法とは別問題」 首相   2006年11月11日01時20分

 安倍首相は10日夜、政府主催の教育改革タウンミーティング(TM)で「やらせ質問」があったことに関連し、「教育基本法の問題と、このタウンミーティングの問題は別の問題だ。教育改革を進めていく上においても、速やかにこの教育基本法の成立を図りたいと思う」と述べた。
 また、自民党二階俊博国会対策委員長も同夜の那覇市での講演で「教育基本法を60年ぶりに改正しようとしている。(それに比べ)タウンミーティングでやらせがあったなんて、やる方もやる方だが、誠につまらん」と指摘。「いつまでも慎重審議に引きずられていては、政治の生産性が上がらない」と、首相と同様の考えを示した。(朝日)》

 タウンミーティングは、教育基本法についてのものだというのに、「教育基本法の問題とこのタウンミーティングの問題は別問題」とは安倍首相、何をか言わんである。
 教育基本法の問題といじめ自殺の問題も、別問題なのだろう。
 二階国会対策委員長の方は、「政治の生産性」とかいっているが、教育における憲法にあたる根本法の改廃にかかわることを、工場での大量生産などの生産性とまちがえているようだ。有意義で活発なやらせでない議論をすること以外に「生産性」があるはずがない。タウンミーティングの調査をする作業チームをつくったのなら、その結論出るまでは、審議止めるべきである。

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 きょう15日にも自民党公明党は強硬採決をしようとしているようである。

 過去をふりかえることは大切である。
 1960年、長州藩閥にして、現総理安倍晋三の祖父、岸信介は、日米安保条約を強硬採決、今日に至る我が国の対米屈従の道を始めた。
 その孫安倍は今、それに倣って教育基本法教育勅語へ向けての復古、平和憲法を富国強兵と天皇大日本帝国憲法の方への引き戻しをしようとしている。世界共通の民主主義の理念から、国権主義と排外主義と軍事政治へともどそうとしている。しかも、それはアメリカの要求によってであって、自民族の誇りと自律に基づくものではないのだ。

 今度こそいっぱい食わせてやりたいものだ。