人は言葉によって人になる

人は言葉によって人となる。

ある人間は、自分が自分でいるための言語行為を持っている。
話しかけや読み聞かせの大切さが、教育について語られるのは理由あってのことである。
もちろん、愛情、受容をともなったそうした言語行為にめぐまれないとしても、人は自分であるためには言語活動をもたないわけにはいかない。
たとえば、2チャネラーとは、2チャンネルで書き、読み、文字対話をすることによってで自己を形成している人々のことである。彼らが2チャンネル特有の隠語を使うのは当たり前のことである。彼らにとってはそれが母語であり、きちんとした言葉は、公用語のようなよそよそしい言葉だからである。

インターネット以前においても、なんらかの言語行為なくして、個人は自分をもつこと
ができなかったのは同じである。

また、現在でも、2チャネラーのようなインターネットによる存在は一部である。
むしろ、夫婦や恋人のような二人の強力なペア関係における語らい、話しかけ、議論が自己をつくっていると思われる例は多い。特に、体制や組織に順応して生きているのでなく、むしろ、体制や組織に左右されずに自分の決定をしていけるような人はそのような自己を持っている場合がけっこうあるように思える。

自分があるように見えて、結果としては状況になじんでいるだけの自己を超えて、状況そのものにながされない自己になるには、強い情緒的なエネルギーが必要であり、単なる文字言葉のやりとりだけでは足りないのである。

デジタル世代以前の僕らの頃には、文通というものがあった。簡単に電話やネットで人がつながらなかった時代、それは人と人を深く結びつけることになるものだった。