いじめ自殺訴え

まず、問題なのは、いじめの連鎖の構造であって、それを変えることが問題なのであって、いじめ自殺を公的機関に訴えることの連鎖が問題なのではない。
いじめは今までもあったし、いじめによる自殺もあった。いじめへの抗議の遺書を残しての自殺さえ少ないがなかったわけではない。
今存在しているいじめによる遺書を残しての自殺ないしは自殺予告は、本人が自分がいじめられていることを不当とはっきり認知し、それがはっきりと社会的に届いているという感じをもって行われていることが今までと違う。
自殺者はひっそりと死んでなどいない。助けを求める形をとっていてさえ、弱者として助けを求めているのではないのだ。自分は生きる権利があるのに、それをいじめによって奪われている、と公的に抗議しているのだ。前に、自殺予告の手紙を書いたほうが、その子は生きられる可能性が高まる、といった。
自殺予告の手紙は、直接いじめるものに抗議しても、先生や家族に相談しても、無視されたりますますいじめがエスカレートするだけであったかれらが、はじめてつかんだ、人としての生きる手段なのである。