平和主義とネット右翼

 この一年間で、ネットにおける平和勢力とネット右翼たちの力関係には大きな変化が生じた。まず、平和主義のサイトが、それもしっかりしたサイトが増えた。
 1、2年前は、平和主義者は、ネット右翼たちの組織的な攻撃に一人で防戦をしなければならなかった。ネット右翼は、先にネット上を占拠しただけに、攻撃のひな形になる大量の文章を置いた倉庫のようなものをいくつも持っていて、掲示板などでもそこからコピベして攻撃したし、平和主義のサイトを立てるものがいると、すばやく見つけて、2チャンネルの掲示板で広めて、煽動し、罵詈雑言の荒らしをかけるのだった。それには専門の監視サイトがあって、自分の記事中に直接リンクを埋め込んで、それを見たものはワンクリックするだけで降下することができるようにした。荒らしのひどさにコメント欄を閉じると、それをまた攻撃の種とした。いやがらせである。トラックバックも本来の使い方ではなく、攻撃のため濫用した。まつり、炎上などとうれしがってそれを行った。彼らのいじめの犠牲になってサイトを閉じたものもかなりにのぼった。
 民主主義精神のわからないネット右翼はわがものがおにやりたい放題だったのだ。
 それははっきり変わったと思う。

 ネット上の状況の変化については、死力をつくして、2チャンネルに巣くうネット右翼と戦った人たちがいたことの結果であることを忘れることはできない。

 だが、安倍のおこなった、戦後教育基本法を排して、似て非なる改正教育基本法をごりおし成立させたことで、彼ら過去にもどりたい勢力の平和憲法改正、とりわけ第九条廃止が本気であり、目前にせまっているのだとわかったことも、大きい。

 そして、それに呼応するように、休眠していたネット右翼がまた活動を開始したりもしている。
 
 ネット右翼は、自分たちの置かれている経済的状況や職場環境の改善には絶望していて、そのうっくつは、彼らが自分たちより優遇されていると思っているサヨクや、中朝、弱者を攻撃差別することではらそうとしている。そのくせ、彼らが支持している小泉らの二世、三世議員や大企業の特権には無批判なのだ。愛国心という名の帰属意識で満足してみたり、小泉などのようなものに自己同化、期待をかけるのだが、実はその政治行動によって自らの首をしめている。
 そして、日本、日本というが、せいぜい薩長明治維新政府・日本帝国主義の侵略を美化し、天皇制をはじめとする近代のまがいものを日本的なものとみなしている。

 平和主義、基本的人権の尊重など現・憲法の諸原則を実現することこそ、日本人の誇りと感じる平和主義との対立はますますはっきりとしてきている。