年の瀬に、死んだ者たちと

nobtotte2006-12-30

今から一時間半程前に、この地球上でサダムフセインがクビをつらされて殺された。サダムフセインは政治的誤りを犯したかもしれないが、人道に対する罪の内実ははたから見ても、あまり明らかにはならなかった。裁判中にフセイン側の弁護士はテロで殺されたり発言できなくされていた。今のイラク政府なるものが合法的かどうかしらないが、それが、アメリカの占領下で、その言う事をきくものとしてつくられた人工的なものであることは否定できない。処刑はあたう限り最短で行われた。反対や躊躇が起こることを恐れるかのように。まるで、226の将校の処刑のように。
日本をアメリカ軍はかつて占領したが、その時の戦争は日本が始めたものだったから自業自得だ。が、イラクを占領したアメリカ軍は、結局今ではまちがった嫌疑をかけて戦争をはじめた側なのだ。
多々ある独裁者の処刑で、こんなにも釈然としない感じがする処刑ははじめてだ。というのは、一番悪いアメリカのブッシュ大統領と、それを支持したアメリカ国民こそがまず何よりも一番に、たくさんのイラクの人びとの死と、戦争にいかざるを得なかった米兵の死に責任があり、人道、平和に対する罪で処刑されねばならないと思うからなのだ。
結局、サダムフセインの処刑は、彼がやったかもしれない、アメリカの意を帯しての対イラン戦争などにおける行いをあがなってではないのだ。アラブの一国家の主権と民族自決が理不尽に他国によって踏みにじられたことの証しであり、殺され傷つけられたイラク国民の誇りの象徴なのだ。思えば、裁判におけるふるまいでも、彼は終始一貫してそういう態度をとりつづけた。してみると、フセインがなさけない捕まり方をしたかのような当時のテレビ報道より、後に流れた、実はフセインは戦って捕まったといううわさの方が本当だと思える。

たとえば、以下のリンクにある05年にフセインラムズフェルドの交わした会談の記録を読んでみるがいい。二人はアメリカとイラクが仲が悪くなかった時にも一度会談しているからこれは二度目である。
http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2005Hussein-Ramsferd.html
公平に見て、現在サダムフセインに与えられている評価は一方的なものである。

明治薩長国家をつくらせることになった、討幕の偽勅における、将軍徳川慶喜に対する罪状が途方もないえん罪であったのと同じである。

薩長は自分たちの権力を強引な武力発動によって打ち立てるために、非道にも、徳川慶喜を朝敵にしたてあげなければならなかったのである。たまたま慶喜は処刑されず生き残ることになったが、それはさまざまな力関係やおもわく、動きの織り成した偶然にすぎない。その結果、死をまぬがれ隠居した徳川慶喜は、明治薩長国家をつくったクーデタの正当性のなさについて、生涯口をつぐむしかなかった。慶喜の名誉回復は勝海舟の尽力によって実現するが、それには長い年月が必要となる。


いわゆるイラク抵抗勢力は、今まではアメリカとイラク共和国との戦争は継続中であり、サダムフセインは捕虜になっているとはいうものの、イラク共和国の大統領であるという前提で戦ってきている。だが、アメリカは捕虜に対する国際法に反して、戦争捕虜サダムフセインを彼を報復的に処刑する組織(イラク政府を名乗っているがそれを支えているバドル旅団は実質イランの指導下にある)に引き渡し、わかっていて殺害に手を貸した。(おそらく、手を貸したどころか、実際に決定に加わっている。)捕虜としてのサダムフセイン大統領の人権は侵害されたのである。これを人道にたいする罪というのである。しかも、それが一国の国家元首に対するものとなれば、その罪は特別大きいはずである。日本のアジア・太平洋戦争においては、その責任は東条英機A級戦犯がとったわけだが、イラク戦争においては、さばかれねばならないのはもちろんブッシュである。
フセイン大統領が死亡した以上、抵抗勢力イラク共和国)は後継を選出しないわけにはいかないだろう。そうすれば、イラク共和国は今も存在しているということがはっきりすることになる。ブッシュが船の上で行った戦争終結宣言という茶番にたぶらかされて、抵抗勢力を多様なゲリラとか、テロリスト程度のものとしか見なくなってしまった我々の認識が正されるのも近いのではないだろうか。