感謝

忘年会といった類のものには今年は縁がないものと思っていたが、ひょんなことから、あるお仲間たちの忘年会に入れていただいた。仲間というものはすばらしいものである。共同の目的をもち、人としてつながり、そして、仲間の共同性を再生産する実践をもっている。行事とか儀式とかの真の内実とはそういうものである。
それがあるからこそ、人は、未踏の荒野に移り住み、ゼロから土地を切り開き、かつそこで自己を失わず、自分の住処と感じるようになることができ、広がって行くことができたのである。
そういった人間的なあり方は、しばしば目的のない、共同性のうすれた集団の中でもはたらき、逆に空気をよまないものの排除、いじめや抑圧、使い捨てなどのために機能してしまっていることは現状の事実であるが。

いろいろな仲間があちこちで生き生きと動き出している社会、流動的でわくわく胸おどってしまうような社会、自らと、自らの仲間をあたりまえのこととして誇りに思える、そういう状況を生み出したいと深く思う。

菅井は、日本国憲法の理念が、それを擁護する義務をもっているはずの政府自体によってけがされ続ける事態にさらされて生きて来た。そのたびに日本人としての誇りを傷つけられる想いを感じてきた。今年、教育基本法が反動勢力の非道な強力で廃止されてしまった時にもそう感じた。

日本は世界に先がけた
すばらしい国なのに、なぜ旧式の「普通の国家」になりたいのだろう。

だが、事実をありのままに見るならば、その考えは正しくないのだ。
すばらしい平和憲法をもっていても、それをになっている政府がそれをまともに実現する能力がなく、他国に追随している国家なら、そちらが日本の本当の姿だったのだ。アメリカに追随してきたイギリスが、今や中東の国々にまともに相手にされなくなってしまったように、日本もアジアでは話をきいてもらえない、ごり押し(制裁とか)以外の外交手段をもたない国になってしまった。

それを変える手だてはいくつもあるが、今の日本国家にはそれは難しい、というか不可能事である。
来年はそういうことをもっときちんと考えなければならないかもしれない。

空気読みの苦手な菅井を受け入れて下さった素敵なお仲間たちに感謝いたします。おかげさまで心ゆたかな年末をおくることができます。