いじめ社会の重苦しさ

 信毎(しんまい)に昨年暮れのった以下の記事は、菅井の現状認識のぬぐい去りがたい根本を語っている。あるいはこの単純な根源認識が菅井の限界であるかもしれない。
 もっと複雑な考察ができる若い世代の方々はそれを超えていってほしい。

 だが、菅井には今のところこれを疑うことはできない。よって、それを引用させてもらう。
 そこから生じる菅井の処方箋もまた単純である。より下へ、と抑圧を転嫁していく構造をどこかで反転せねばならないということだ。少しのゆとりを何かの偶然で確保しした部分が、その余裕をさらなるいじめの快楽に消費するのでなく、上に向けてさらに余裕を要求拡大すること、下からの余裕への要求を受け止め、受け入れられるような条件と主体をつくり出すこと。それだけである。