信濃毎日新聞 06年回顧 いじめ社会の重苦しさ  

                  12月31日(日)

 一年の世相を表す漢字は「命」だった。恒例の催しに、清水寺貫主が力強く揮毫(きごう)した「命」という一文字の重みが、年の瀬を迎えて胸に響く。

 いじめによる子どもたちの自殺が相次いだ今年。平和なはずの日本で仲間はずしや嫌がらせが横行し、中学生や高校生が命を絶っていく…。

 学校生活が死を招く原因の一つになってしまったからこそ、「命」という文字が際だって見える。そんな時代に、やり切れない思いを抱く人も多いだろう。

<相次いだ自殺>

 始まりは一月に死亡した北海道滝川市の小学六年生の事件だった。

 「なぜか私の周りにだけ人がいないんです。六年になって差別されるようになりました。私はほとんどの人が信じられなくなりました」

 こう書かれた遺書が十月になって明らかになった。学校や教育委員会の対応に批判が集中し、全国からの抗議は二千件を超えた。市教委は当初、事実関係を否定していたものの、途中からいじめを認め、遺族の家を訪れて謝罪した経過がある。

 問題をより深刻にしたのは、それ以降、福岡、岐阜、大阪など全国で同様な事件が続いたことだ。報道が引き金になったとの指摘もあり、報道の在り方にも課題を残した。

 だが、根底には子どもの社会に深く根付いたいじめがある、とみるべきだろう。

 NPO法人「チャイルドライン支援センター」などには、たくさんの相談がいまも寄せられている。携帯メールでクラスメートと連絡を取り合って、特定の子を仲間外れにするなど手口も複雑化している。

 「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」との遺書を残して、東京都の中学二年生だった鹿川裕史君が自殺したのは、一九八六年のことだ。級友たちが「葬式ごっこ」をして、からかった事件である。

<弱者へと向かう抑圧>

八〇年代は全国各地でいじめの問題が広がった時代だ。県内でも自殺者が出ている。当時、盛んに論議されたにもかかわらず、鹿川君が「生き地獄」と呼んだ状況は、この二十年間なくなるどころか、いっそう陰湿さを増して広がっている。直視しなければならない現実である。

 見過ごせないのは、ここ数年、若者によるホームレスの人たちへの襲撃が頻繁に起きていることだ。先月も愛知県岡崎市で、六十九歳の女性が中学生を含む若者たちに殴られて殺された。

 過去の事件では、逮捕された少年が「ストレス解消になった」などと供述している。「ホームレス狩り」と称して暴行を楽しんでいたケースもある。

 「学校のいじめと問題の根幹は同じ」。国学院大の沢登俊雄名誉教授(少年法)の指摘が興味深い。社会から離脱した少年たちが、弱者をターゲットして快感を得ているというのだ。いじめ問題を、社会の在り方と関連づける視点である。

 抑圧が弱い方へ弱い方へと、しわ寄せされていく−。かつて政治学者の丸山真男は、日本のファシズムの特質を「抑圧の移譲」と名付けた。今日のいじめも、そうした観点からとらえ返す必要がある。

 優勝劣敗の厳しい生き残り競争が、人々に重圧となってのしかかる。「勝ち組」「負け組」の言葉が実感をもって受け止められる「格差社会」が、いじめの土壌になっている、とみることができる。

 例えば、暮らしの根幹を支える労働の在り方である。過去五年半の小泉政権下で、正社員が減り非正社員が増えた。いまや雇われている人の三人に一人が非正社員だ。

 非正社員は、いつ職を失うか、不安定な立場におかれている。厚労省の調べでは平均賃金は正社員の六割の水準に抑えられ、所得格差をつくり出している。「結婚もできない」「子どもも産めない」といった声も聞かれるほどだ。

 雇用や賃金調整が、弱い立場の非正社員へとしわ寄せされている。そのことによって、企業が生き延びる構図である。

<傍観者から一歩踏み出す>

社会保障も弱者にしわ寄せがきつい。ことし成立した医療制度改革では、高齢者の窓口負担が増した。障害者自立支援法は利用者に原則一割の自己負担を課している。

 「弱者の切り捨てだ」との声が随所で起きた一年でもあった。日本全体が「いじめ社会」になっているかのようだ。

 状況を変えるカギは何か。日々の暮らしの中で生まれている「抑圧の移譲」に対して、観衆や傍観者にならないことだろう。

 少しだけ勇気や元気を出して一歩踏み出してみよう。そこに解決に向けた道筋がある。

 学校のいじめ問題も、格差社会から生まれるさまざまなひずみも同じことだ。弱者へと向かうしわ寄せを黙って見ていれば、状況はますます悪化する。

 身の回りに気になる人がいたら、できる範囲で声をかけたい。あるいは、ボランティアや集会への参加、選挙などを通じて、課題を解きほぐしていく。

 一つひとつの日常の積み重ねが、「命」を大切にする教育や社会をつくる水脈になると信じたい。