ネットの変化とネットウヨクの行方

 はてなサヨクはよくわからないが、インターネットの中で、現憲法の精神である平和主義と諸民の民主主義に通じるサイトは明らかに目立ってきている。ヤフーのニュースにつくブログだって、そういうものを見かけるようになった。一時、検索をかければ、上位がネットウヨク系のページばかりしか出てこなかったなんてことはもうなくなった。
 平和・民主主義系の実数が増加したのか、いろいろなつながりや活発さが増していて目立つのか、どちらかだろう。おそらくは両方である気がする。

 いくつもの仮定をおいてのことではあるが、グーグルの検索結果を整理してみてわかったことは、ネット全体でのネットウヨクと平和・民主主義のサイトの数は拮抗しているといった方がよいし、はてなではなく、ヤフーやライブドアなどがむしろ、後者の方が多いサーバーと推定される。圧倒的ネットウヨク優位と菅井が思いこんでいた2チャンネルも実は、はてなとあまり変わらず、半々か、ネットウヨク系やや優位というぐらいであることも見えてきた。
 ネットウヨクたちが各サーバーの検索などのやり方について、批判をしているが、それなども彼らが自分たちが圧倒的優位であった状況が変わっていることを彼らなりに危機意識をもやしてと考えられる。

 ネットでのこの力関係の変化をもたらしたものは、平和主義的で民主主義的な感覚を大事にする自分で思考、感覚する人々の努力である。
 国家が、ネット上の集団的の罵詈雑言誹謗中傷を「いじめ」と認定することにしたか否かにかかわらず、まつり、炎上などの行動(愉快行動をふくむ)に対する理性的な批判も増えている。

 がまた、この間の社会の状況も関係はある。

 まず、インターネットで若い人が直接世界の人と掲示板などで話せるようになって、出会えば当然過去の日本による侵略の被害者を身内にもつ国の人にそのことを言われる。歴史を知らない彼らは自分たちを不当に攻撃されたと思い、自分たちを守る分厚い論理、論破のための体系を構築した。それがネットウヨクの論理であったと思う。それを歴史見直し主義の国粋右翼の主張(大日本帝国は悪くなかった。戦争への反省を出発点とする日本国はいつわりの国である)を核とし、それに「実行力のある」小泉内閣の現実の行動(既存の社会構造の解体および靖国神社参拝・自衛隊の海外派兵など平和立国日本国の基本法を否定する行為)を重ね合わせて支持、主張した。
 だが、それは実は極右(ファシズム)といわれるべきものではなく、全体的には現状追随的なものだったと菅井は思っている。彼らはそういう形で小泉の改革や、ライブドアなどの新企業の進出現象を肯定したのである。

 はじめ、国粋右翼とネットウヨクを同一視していた菅井は、彼らの小泉に対する支持の強さに戸惑った。彼らの嫌・韓中の見解、大東亜戦争肯定と、平壌宣言をやってみせたり、靖国神社に平和を祈りにいくという小泉の見解(問題のある参拝の仕方も含め、)には明らかな差異があるのだが、それにも関わらず支持は微動だにしないように見えた。
 彼らの全体に「右翼」的な主張にもかかわらず、実質的には彼らは若い層の小泉改革応援団として政治の世界に出現したのだ。自分たちの右翼国粋的主張の実現に当面有利であるから、小泉のやることを本当はバカにしながら支持利用するという国粋右翼のスタンスとはちがっている。
 社会存在からすれば、「右翼」と呼ぶよりは、国家主義保守主義の一形態と把握した方がよい、と菅井は思うのだ。それもその言動の激しさとはうらはらに、ファシズムのような過激主義ではない。

 むしろ、ある社会層の自己肯定の思想としてネットウヨクの思想があるとみた方がよい。
 小泉末期自民党を勝たせ、今日の安倍改憲戦略への道を開くことになった選挙において、彼らは、自民党を支持した。それも他に選択枝がないからではなくて、積極的に。
 事実としては、小泉内閣支持という現状追随の行動をしているのだが、彼らにとっては、自分たちの政治勢力としての勝利のように感じたはずだ。それは、本当は社会層として利害の異なる小泉と自分たちとを一体化するという詐術によっているのだが、同時に、層としての彼らが、政治における敗北を知らない、本気で勝つ気がある勢力だということも意味している。
 実に、政治の世界に、支配階級でない層でありながら本気で勝つ気の勢力が出現したのは久しぶりなのである。
 ありていに言えば、菅井を含め、既成左翼や平和主義者は実は敗北をかみしめて生きてきた。高校に入学した時、そこで使われていた「敗戦」と言う言葉は、1945年の大日本帝国の敗北ではなく、1960年安保闘争敗北、という意味だった。それは、本気で勝つ気だった戦い、安保闘争に敗れた虚無感というに近かった。反安保を戦った多くの人々が主張を変えた。60年には、石原慎太郎も西部すすむも反安保だったのだ。この戦いを境にして、日本は憲法ではなく日米安保が事実上の最高法規であるようになり、今にいたる。その後も70年頃に反戦、反安保、大学闘争は生じるが、それを牽引したグループの。全共闘新左翼に、ニヒリズム(本気で勝つ気はない思想)は色濃く存在した。70年をニヒリズムだけで語ることはできない。だが、大きく言って、1960年の敗北は平和と民主主義の勢力を打ちのめし、そこから脱しようとするその後のさまざまな試みにもかかわらず克服はできなかったというべきだ。菅井のように、70年安保に遅れてきた世代もその中に含まれる。
 この空気は、菅井の記憶するところでは、1990年代の後半あたりから変わってきたように思う。その頃から登場し、太平洋戦争はおろか、60年安保の敗北も70年安保の敗北も社会主義世界体制の崩壊も知らない世代が動きはじめた。今のネットウヨクは大きく言えばその流れの中にある。
 
 ネットの中で、彼らの勢力が前ほどの勢いを失ったのには理由がある。
 彼らが支持した小泉の後をついだ安倍は小泉ほど人気がない。そしてゆらいでいる。彼らの閣僚が次次不祥事でやめざるを得なくなっている。ブッシュに協力して自衛隊派遣までしたイラク戦争は全く大義のないものであることが明らかになった。イラク、中東に手が一杯のアメリカは、日本に対し、アジア諸国との関係改善を求めてきている。その中には朝鮮も含まれる。アメリカ追従でいいとおもっていたら、アメリカがぶれはじめた。その方向転換は、保守の中でも、読売新聞や財界などが歓迎するものであるが、ネットウヨクが今まで展開してきた主張とは異質なものである。小泉内閣においては、ネットウヨクの主張と現状追従とは矛盾しながらも寄り添っていけたのであるが、その矛盾は大きくなる。「靖国参拝せず」は、その大きな一つである。明治神宮へ行ったからといって代わりになるものではない。
 ネットウヨクの文字通りの主張と、彼らの現状追随(ネットの上では過激な主張だが、実生活では平和主義、現状追随」)との間に裂け目が発生しつつあるのだ。今までは、現実には何とか適応してがまんし、そのがまんを小泉支持としてネット上にぶつけて、仲間どおしのお互をを認めあうコミュニケーション、過激な発言や荒らし、まつり、炎上といったブサヨク攻撃で快楽心を満足させるという回路がうまく廻っていたのだが。自分たちが勝ちつつ有るという前提で相手を無力、馬鹿とおとしめるという戦術にかげりが生じてきたのだ。
 
 彼らはどこへいくのだろうか。新しい現実肯定の道を見いだすのだろうか、それとも、自分の廻りに作り上げた思想体系に忠実に、思想に会わない「現実」、それは彼らの存在形態をも含むことになる、を否定する過激主義(そうなればファシズムと呼べるものに進化するかもしれない)になるのだろうか。