最近のはてなから「かわいそうなこども」のこと

1月24日

もう少し複雑な感想もあるにはあるが、私もまた「かわいそうなこども」の一人であった。そのことが今の私の一部をしっかりとつくっていることを何度も再認識させられることもあった。だが、私に関しては、それは与えられた事実で変えようがない。私のような「かわいそうなこども」は今ではもっとふえている。もちろん、きれいな町並みと住宅のまわりに幸せそうに見える母子や、父親までそろった家族を見かけることはあるので、「かわいそうでないこども」がいることも承知している。だが、多分そちらの方が今では少数だ。
私は、「かわいそうなこども」の群れにたいして、親を教育し、幸せな家庭を再建し、「かわいそうでないこども」に変えてあげようとする方針は非現実的だと思っている。もちろん、個人的にそう思って身近の子どもだけでも親と一緒になって、または親代わりにしっかりと抱きしめてあげようという人は、いるかもしれない。そうして抱きしめられた子どもが「可哀想でないこども」に変わることがないというつもりもない。
だが、それでもたくさんの「かわいそうなこども」は増え続けるだろうし、なんだかんだ言って暖かい家庭とは別のところでちゃんと生きているのだ。あるいは死んでいるのだ。