アンフェア 映画があるらしいが

 今更のことになるが、篠原涼子主演の警察ドラマ「アンフェア」について。
 ふりかえってみれば、アジア太平洋戦争敗北のあとに実在した日本革命の情勢を押えきり、アメリカに従属しながら生きながらえ独占資本を復活させた薩長藩閥日本国家独占資本主義は、テレビの警察ドラマを通じて体制の思想を繰り返し注入してわれわれを思想統制してきた。西武警察、時代劇の捕り物作品などなど。そして、それと同じくらいにあった悪漢ドラマは、絶滅した。
 だから、このドラマも体制派の物語として、悪漢をなんのためらいもなく射殺する敏腕の女警察官が主人公である。高級なマンションに住む彼女は警察が背後にかくしている本音「抵抗するものはためらわず殺す」をどうどうと公言し実行することで、諸民から非難され、体制からもにがにがしく思われている存在だ。彼女を支えているのはその敏腕さだけだ。ところが、彼女のまわりの仲間たちは、どうしたことか、体制憎悪にかられて、次々殺人事件をおこし、彼女を裏切って行く。裏切られた彼女は、その元仲間たちを殺しながら許す。そこにこのドラマの秘密がある。
 一見勝ち組に見える彼女の仲間たちは実は負け組出身なのである。彼らは、それなりの社会に対する恨みをかかえながら努力し、這い上がっている。主人公のところに彼らが引き寄せられるのは、主人公もまた、同じような存在だからである。だが、這い上がりの原動力にあるのは、えらくなって見返してやりたいというものではなく、恨みをはらしたいという怨念なのである。その時復讐のターゲットになるのが、たとえば体制意志を公言し、それを実行してもみせる主人公なのである。
 そもそも、篠原涼子自身、パフォーマンスドールというアイドルグループのトップを争い、絶頂期の小室ファミリーでは歌をミリオンヒットさせながら、泣かず飛ばす、バラエティに出て、「ね、知ってる?私も昔はミリオンセラー歌手だったのよ。」と笑いの種にしたり、不正解すると待遇が悪くなり、ついには、テレビに顔も映してもらえなくなるという能力による差別を絵で書いたようなクイズ番組で、常識のなさをさらけ出し、最後の集合場面では消されてしまったというありさまの人だった。不思議に似合っていてみじめに見えないのが彼女のキャラクタだった。諸民的なのである。それが今では、勝ち組代表のミュージカルスターと結婚し、ドラマに主演し、ヒットさせるようになった。負け組から復活したアイドル女優なのだ。
 これは一億総中流などといわれて、同質性社会をよそおっていた日本が格差社会とかいう言葉で階級差別を再発見しつつある今の物語、勝ち組に復讐しようとする負け組たちの物語なのだ。
 通常版最終回における相棒安藤の裏切りは、実は、彼の親友を過去に射殺した主人公雪平への復讐だったのだが、結局、安藤は彼女を惨めにすることも殺すこともできず、彼と親友をひどい目にあわせたパチンコ屋店長を殺すこともせずに、彼女に射殺される。自殺である。せめて親友と連帯していることを証明しようとするかのように、親友と同じく人質をとり拳銃をふりまわしているところを主人公に射殺される。あるいは、主人公に心ひかれた自分の裏切りを贖罪してなのだろうか。
 負け組(非支配階級)の恨みと復讐の物語は、寛大な体制に回収されたのだろうか。