いじめの論理が支配している国・日本

 朝鮮が核兵器の問題をめぐって6カ国協議を足場に、アメリカとの関係を改善しようとしている。日本は、昨年10月ごろには、世界の経済制裁で朝鮮は倒れるだろうなどという論が一部好戦マスコミを中心にはびこっていた。冷戦思想の亡霊であるこうした論調が事実によって論破されているのを見るのはよろこばしいが、日本はあいかわらず経済制裁を続けようとしている。
 いじめに抗する自死が昨年は社会問題として現れたが、いじめる者たちは相変わらず、いじめられる者が悪いと言い続けている。いじめるものも社会的弱者であるという事実は、彼らのこうした考えや、それにもとづくいじめをけっして正当化しはしない。
 朝鮮に対するわが国の制裁なるものも、このいじめっ子の論理に他ならない。朝鮮がどれだけハリネズミ国家として陸軍を保有しようとも、経済破綻に瀕して困難な条件の中でけんめいに自己を守ろうとしているのが朝鮮で、その軍事的脅威を誇大に言い張ることによって戦争を挑発しようとしてきたのが日本であることはまぎれもない。非を認めている相手に対して、話し合いをもってきちんとその完全な解決を求めるのでなく、問答無用の経済封鎖によって解決の機会を閉ざしてきたのもわが日本である。その日本は自らについては、非を認めておきながら、その完全な解決を先のばしにしているばかりか、非を認めたことまで撤回しようとしている国である。教科書から従軍慰安婦の記述が消えてしまったのはつい今しがたのことではないか。
 日本国憲法は、その序文において「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と述べているが、自分のことしか考えない国が名誉ある地位を得ることなどあり得ない。
 国は教育について、監督官庁の権限を強化すること、道徳の時間の強化などを言っているが、いじめの生じている根幹を正そうとしないでおいて、統制と教化を強めようという古びた対策をたててもうまくいくことはない。そもそも、この「道徳」を教えるのは誰だろうか。ネットウヨクがいるじゃないかという悪い冗談はやめてほしいものである。