はてなの話題から

 はてなのブログを「ウエブ進化論」などの著者梅田望夫さんが書いているのだと知った。彼の発言は一部の人々にすばらしい感激を呼び起こしている。

 ポジティブシンキングというのは、無条件に正しい。だが、日本の風土、大人たちによってポジティブなものが妨げられているのなら、ポジティブシンキングを子供たちに説く前に、妨げているものを変えることが必要のはずだ。大人たちをこそ変えねばならないはずだ。
 よい点をしっかり誉める大人がいないから、自分がそれになるというのは悪いことではないが、一人の人間が何人の子供を面倒見られるのだろうか。たとえば、その大人が周囲の子供をほめて励まし、その人たちが生きていけるような(やりたいことと生活の糧の両立)プロジェクトを立ち上げたとして、それにかかわれ、変わって行ける人は何十人くらいだろうか。それが何百人何千人もいたとしても、本質的な差ではないのではないか。
 子供が元気になるのは、思想によってであるよりは、しっかりと抱えてくれる大人に見守られることによってである。
 批判するより良い点を誉めた方がいいのは、その人がすでに大人で、その人の言葉が誉めるにしろ、けなすにしろ、子供に影響をもつことのできる人物になっているからである。同じことを他の人間が言っても、同じ結果は得られない。子供どおしがほめあっても効果は全く別ものになる。

 今の世の中、いろんな風に人は育っている以外ではない。たとえば、すでにスポイルされきってしまった人間にとってのポジティブシンキングが、社会の良俗に納まるという保証はなくむしろ逆であろう。すべての人に、各人のポジティブな生き方を認めるならば、その葛藤、対立を通して、めぐりめぐって今の日本と同じように、たくさんの人々のポジティブな生き方をおしとどめ、血縁・閥縁で日本を牛耳っている人々やシリコンバレーや六本木の住人のポジティブな生き方を保証する社会に結局は行き着くのではないか、と想像することはまちがいだろうか。

 ポジティブや自己肯定の思想をあえて大人に言ってもらわなければならないほどに人々がこの当たり前の信念を欠いていること、他者の評価の中に生きている現実こそが問題なのだと思う。