地方選挙前半が終って

地方選挙の前半で東京では都知事選挙が終った。
石原が勝ったわけだが、
市民が推した候補も
共産党が推した候補も
よい選挙をした。
というか、有権者が真剣だったのだ。
だが、石原のわがままは止まらなかった。
その象徴は東京オリンピック招致となるかもしれない。
かつての東京オリンピックは、戦争で焼け野原と化していささかアナーキーな都市となっていた東京を巨大建築でおおいつくす出発点だった。施設は何もなかったのだから、すべてをつくる感じだった。資本主義にその力も、必要性もあった。今度はそうはいかないだろう。もう埋め尽くされた東京に全く新たな競技施設をつくる力も、必要もない。だが、金はかかり、いろんなめんどうが生じるだろう。黒字財政への転換を誇った石原都政は、このオリンピックをやっても同じことを誇りつづけられるだろうか。
日本の将来が今の自公の政府のもとでは暗いように、石原都政の都民にも明るい未来は開けない。結局、石原一族がさらなる利権を占有することになるだろう。それを止めるチャンスは、反石原の分裂によってなくなったのだから。
 吉田万三氏はよい候補だった。区長時代、与党の共産党と連絡をとって政治を進めたことを「共産党のロボット」とお門違いの誹謗を受けた以外は、何のあらもない。政策も一番正しかった。一方の浅野候補も、他県ではもっとひどい改革をやっているところもあるのだし、石原に比べればましだった。立候補のいきさつもふくめ、積極性が感じられなかったのは、イメージの問題として残念だった。自分が勝ちに行くという積極性があればテレビ映りももっとよくなっただろう。だが、下北沢の美化問題を含め、地元住民と話し合って進めるという、住民による政治を打ち出した点は、あまり強調されないし、争点にもならなかったが、評価しなければならない。これはすでに長野で掲げられたことではあるのだが。
 さらに、両候補の支持者の間で、候補一本化をめぐって熱心な議論がなされたことも重要だ。これは、おそすぎたので、最初から、吉田氏の方が取り下げるべきだという一方的な方向でしか提起されなかったことに問題はあったのだが、この議論の中に統一して戦う上での問題は出尽くした感がある。その中で、すぐれたブログが生じたし、両者の分裂は失望も呼んだが、ある種の節度もつくり出したのではあるまいか。全ては今後のことになるが、それは、もしかしたら、石原をここで倒すこと以上に価値のあることかもしれない。
 積極性という点では、三十代、外山恒一政見放送テレビも話題を呼んだ。選挙の結果は、彼の主張が当たっていることを示す結果となったのだが、もともと都知事選挙自体を目的としていないその出馬が微妙な数字ではあるが、15000票をとって、どうやら泡沫候補からの脱出を果たしたことは注目すべきである。今後の彼の動きしだいではあるが、左でも右でもない、いわば「下」とでもいうべき一つの政治勢力を生み出す可能性をつかんだというべきかもしれない。