改憲手続き法衆院通過を知って

 12日の委員会での強行採決に次いで、もう翌日に改憲のための手続き法は、問題点に何ら答えることもなく、自民公明によって衆議院を通過した。


 日本国憲法は日本国の憲法である。
 日本国憲法の三原則は
 国民主権、平和主義、基本的人権の尊重であることは、戦後の学校教育でもずっと教えられてきたことであり、学者にも異論はない。
 この三つが日本国の根本なのである。日本国が日本国である限りこの三つを変えることはできない。
 というより、戦後の日本において、国家社会をまとめるための権威は事実として憲法にあったのである。戦前においては、天皇大日本帝国をまとめる権威であった。国体とはそういうことであった。
 戦後、天皇の欽定憲法としてつくられた日本国憲法は、天皇(現人神)から憲法(根本法)への国ゆずりであり、この時点で日本国民の忠誠対象は天皇から憲法へと移行したのである。天皇日本国憲法に規定された一存在(象徴)という立場になったのである。戦前の感覚から戦後日本では忠誠対象が見失われたという見解もあったが、それは誤っている。日本のまとまりは、日本国憲法をすべての国民が尊重することによってなりたってきたのだ。
 アメリカからの押しつけ憲法であるから日本国憲法はニセモノ憲法であるという主張はまちがっている。日本国憲法は、大日本帝国の主権者であった昭和天皇が自らの意志で制定した憲法であるから正統性をもち、権威を持つのであって、原案が誰によってつくられたかなどは全く関係がない。
 日本国は、改憲を唱え、戦前体制への復帰を願う自民党政治家であっても、日本国憲法の諸原則の枠内で政治を行ってきたのであり、だから国としての統合をたもってきたのである。(自衛隊やその他のことも、第九条の範囲内であると自民党は説明し続けて来ている)
 さて、今安倍がやれといい、自民党がすでに案としてつくった憲法改正案とは何であるか。日本国憲法をその根本原則をより生かすための部分修正であろうか。そうではない。安倍が憲法をはじめから書き直すといっているように、日本国憲法を押しつけ憲法であるとして否定しさるものである。これは日本国憲法の改正ではない。クーデタなのである。
 彼らはすでに自衛隊を海外に派遣し明らかな憲法違反を国民からたしなめられないことをいいことにやっている。集団的安全保障、つまり、アメリカの戦争に対して日本の自衛隊を動かすことも可、にすることも憲法違反だ。平和主義とは国際紛争を解決する手段として戦争に訴えないということであり、それを体現する条項が憲法9条第2項戦力不保持なのだから。
 すでにして小泉安倍自民党は、憲法に反する政治をしており、彼らの言う「憲法改正」とは、その既成事実に合わせた法律を作ろうということなのである。これは法治主義とは無縁の無法行為である。これに言葉を与えれば、クーデターというのである。
 自民党案が仮に憲法とされるのであれば、その憲法の特徴は何と書かれるであろうか。とうてい基本的人権の尊重、平和主義、国民主権とは書かれまい。それとも、そう書く欺瞞的な御用学者がウソの教育をしていくのだろうか。
 私の日本国憲法に対する態度は、日本国憲法こそが日本国そのものであり、その修正はみとめられない、ということである。これは日本国を守るという意味で保守的なものである。言葉の正確な意味において、愛国とは日本国という現代の国体を守ること以外にはない。小泉、安倍、自民党公明党の正確な呼び名は非国民ということになる。ネットウヨクも愛国者などではなく、無法者である。よく反省してみることだ。
 もし、この「憲法改正」という名のクーデターが行われるならば、日本国は存在しなくなる。賭けてもいい、その後の「憲法」と名のつくものはただの条文にすぎず、まちがいなく日本国民の忠誠対象などにはならない。日本国憲法を正しく継承するものにしか、その権威は生じないであろう。