エリツィン元ロシア大統領の死の報にふれて

 エリツィンが死んだ。プッシュも日本の首相も偉大な政治家だったと持ち上げている。ロシアに自由をもたらした人物というわけだ。
 エリツィンゴルバチョフのように、ソ連の大統領になったことはない。ロシア共和国の大統領にはなった。

 エリツィンがやった一番大きなことは何であるか。ソヴェト社会主義共和国・同盟(略称 ソ同盟、通称ソ連)を解体したことである。それを行ったのはエリツィンとあと二人のソ同盟を構成する共和国の長であった。これは違法な行為である。たとえば、国連に問題があるとして、安保常任理事国五カ国だけで解体を決めることはできるだろうか。そんな特権はアメリカにも中国にもどこにもない。国連は百余国からなるが、ソ同盟も15ぐらいの共和国からなっていた。そのすべての共和国の代表が集まって討議せずになぜ解散できるのか。
 もちろん、ゴルバチョフは当時ソ同盟の最高責任者であったから、彼なら、そのような決定をする、あるいは発議する権限があったかもしれない。だが、行ったのはエリツィンであり、ロシア共和国という一加盟国の長にすぎなかった。安倍政権がどうしようもない政治をやって権威を失墜したとして、石原東京都知事が神奈川県と愛知県の知事と語らって、日本国を解散したら、人は何と言うだろうか。エリツィンのやったことはそういうことである。
 ソ連の自由化(ペレストロイカ)を始めたのは、エリツィンではない、ゴルバチョフである。ゴルバチョフにも問題はあったが、社会主義に民主主義を本格的に導入したのは彼の功績である。ゴルバチョフなければ、中国の改革もベトナムドイモイも、東欧圏の自由化もなかった。
 エリツィンははじめ、自由の旗手でありゴルバチョフの片腕であるかのように登場したことは事実である。だが、まもなく、エリツィンが一個の権力主義的政治家であることが明らかになった。わざと過激な主張をしては、人気をとろうとする典型的な煽動政治家であった。ゴルバチョフ社会主義者といえるかどうか問題だが、エリツィン社会主義者でははじめからなかったのだ。
 彼のやったことは、いくつかの問題の集積の中でペレストロイカが危機にひんした時、それを助けることではなく、ソ同盟そのものを破壊してしまうことだった。エリツィン三者がソ同盟解体の陰謀を実行しない限り、ソ同盟は消滅することはなかったことはまちがいない。
 ロシア一国がソ同盟の継承国家であるような詐術を行って、国連の議席を乗っ取ったのも、不正であった。
 事実、ソ同盟解体後、ロシア共和国も、三者がつくった協力機構も混迷を続ける。エリツィンの「自由化」のもとで。経済は崩壊し、人々の暮らしはひどい有様となった。どうにもならなくなって、エリツィンは退陣するのである。
 あとを継いだプーチンはソ同盟がとっていたいくつかの中央集権策を復活して、戦争もやってなんとか持ち直している。とはいえ、平均寿命の縮小といい、出生率の低下といい、マフィア経済の蔓延といい、失業といい、エリツィンのもたらした強引な「自由化」という無策がもたらしたマイナスは今なお各共和国の人々を苦しめている。
 フランス革命の後の反動期に革命の理想はおとしめられたように、現在、ロシア革命の意義は地に落ちている。だが、ロシアをはじめとして、各共和国の人々が自分たちの誇るべき歴史をまっすぐに見直し、真の諸民の利害がどこにあるかを悟るときは必ずやってくるであろう。その時、エリツィンの歴史的意義も確定することだろう。