随想 追いつきしなに言われた言葉

 道をあるいていたら、後ろから自転車の夫婦連れと思われる年配の二人がきて、男性の方が「危ないから歩道を歩いた方がいいよ」といって抜いていった。自転車も歩道か、車道のはしを走らなきゃいけないんじゃないんですか、と言い返すのはやめにした。彼らが自転車で車道のどまんなかをゆうゆうと走っているのだって、歩道つきとはいえ、あまり自動車の通らない道だからに違いないのだ。それとも、危ないというのは、わしたち自転車にひかれるかもしれないぞ、という意味なのだろうか。私は「ありがとうございます」といってそのまま、道(ま、車道ということになるわけだが)を歩き続け、一台の自動車にも遭わず、うちに着いた。
 もしかして、さらに老夫婦に、年寄りはバランス感覚がにぶってくるし、目も悪くなるのだから自転車はやめた方がいいよ、と、通りすがりに声をかけた方がよかったのだろうか。私はそうは思わない。
 あの老夫婦だって、いいお天気ですね、と声をかけて通り過ぎることもできただろうにと思うのである。
 こんな日は、せまい歩道じゃなくて道を歩くと気持ちがいいですね。自転車も同じですよ、と本当のことがなぜ言えないのかな、と思った。

 僕には答えと思われるものがわかっている。彼らには、歩いてる人間が目障りなのだ。歩かない人間(専用自家用車だか、タクシーだか、飛行機だか知らない)と彼らの足である自動車が通るのが道路というもので、バイクや自転車はその子分なのだ。その序列で、みんなして、歩く人間を排除しているわけだ。はしに細いとこをつくっておくからそこから出るなというわけである。
 時に自転車にも乗る私からすれば、自転車だって、原付だって、歩く人と仲間じゃないかと思うのだが、なぜか彼らは、本当には全然歩く必要のなく電車にも乗らない人たちのまなざしで見ている。
 というわけで、私は多数者ではなく、少数者なのである。