レーニンとスターリン

レーニンスターリン

 トロツキーレーニンとは独立に思考し、行動した革命家である。レーニンとの一致は、ロシア革命という事業を共にすることを通じて達成されたものだ。
 それに対してスターリンレーニンの弟子である。だから、スターリンの恐怖政治の面が批判されるなら、それは元のレーニンが悪かったんだろうという意見は出てきやすいし、ずっとくり返されて来た。思慮なしの言葉も何万回とくり返されるなら、いつのまにか本当だと思われてしまうものである。
 スターリンヒトラーと同じか、むしろそれより悪い。レーニンスターリンと同じだ。もともとマルクスもおなじような人間である。要するに共産主義が悪いんだ。最近は、そういう主張はさらに進んで、フランス革命だって同じようなものだ。恐怖政治をやったじゃないか、というわけで、民主主義から悪かったのだ、としてしまおうという動きまである。だが、これらを主張する人は、膨大な事実資料を持ち出したりするのだが、結論は単純で最初から決まっている。だから、あまり物を考えない人にもわかった気にさせられる。それが現状である。

「未完のレーニン」を読んで考えた。

 スターリンレーニンを模倣したのだ。弟子なら、できた弟子でも、できない弟子でも当然そうするものだ。だが、スターリンはできない方の弟子だった。
 エンゲルスにも弟子がいた。ベルンシュタインという兄弟子とカウツキーという弟弟子だった。彼らはかなりできはよかった。できはよかったから自分の頭で考えたが、師匠が目標とした革命を実現する方向に進むことはできなかった。兄は、革命の必要を否定してしまい、転向した。弟は学説を発展させられなかったからただの解説者になった。そういう意味では、二人は不肖の弟子である。
 スターリンはできはよくなかったから、師匠の目標を守りつづけようとした。革命の防衛ということである。そして、それには成功したのである。彼が生きている間、ソビエトは生き残り続けた。彼が死んだ後、彼が批判されてからもなお40年持ちこたえた。ロシア革命は75年間先進国の助けなしに踏ん張ったのである。
 フランス革命は起こって何年持ちこたえたか? わずか5年である。ロベスピエールらの処刑後も、ナポレオン皇帝期だって共和制ではないが革命の理念は死んでいなかったと言えるからそれを勘定に加えたとしても、全部で30年足らずだ。
 スターリンは弟子としてはよくやったのだ。
 彼のとった政策の一つ一つを見ると、レーニンがある時やったある行動を念頭において同じようにやろうとしたのじゃないかと想像できることが多いことは認める 。だが、事情や環境は同じではなかったのだ。スターリンに現実の具体的な分析能力がもっとあれば、レーニンのその方針をここでまねしてはまずい、とわかったのではないか。だが、彼は公式を使うことはできても、その公式は、どこで使う公式かとか、ここでは新しく公式をつくりださなければならないとか、そういうことは得意でなかったようだ。だから、ことごとく間違えた。間違えとわかってから直したこともあるが、間違えの多くは取り返せなかった。ヒトラーや軍事についてのまちがいは直した。それで、大祖国戦争をかちぬくことが出来た。だが、ソ連は自力で社会主義に到達しうるという一国社会主義の間違いは最後まで直せなかった。死んだ人は生き返らなかった。
 レーニンは同じように鉄の人であっても、革命をする上で現実から学んで直す必要があるときにはそうすることができた。だから、革命後には、急速な社会主義化を試みることはやめて、むしろ資本主義でやっていこうとしはじめていた。何といっても、先進国での革命があってその助けを受けて社会主義を建設するという可能性はなくなったのだから。その方向転換をする途中でレーニンは死んだから、スターリンはその方向転換を軽く見ていたままだったのだと思われる。まもなく、ネッブを止めて農業の集団化、社会主義化を押し進めてしまう。レーニンは革命直後にはそういうことをしようとしなかったわけではないから、真似したのだろう。だが、無理を通そうとすれば強権を行使しないわけにはいかない。実際そうなった。スターリンの性格もある。だが、基本は、スターリンレーニンの方向転換を理解していなかったために、無理なやり方を進めてしまったということだ。
 できた弟子ではなかったとはいえ、スターリンは凡庸な人物ではなかったから、革命を守り続けることはできた。
 そして、そのような社会主義国であっても、それが存在し続けた75年の間、世界中の諸民は、その存在によって、自国の支配者たちと優勢な戦いをすることができたのである。社会主義世界体制が存在することが、世界中の諸民の、資本家たちの搾取との戦いをどれだけ助け勇気づけていたのか、ということは、ソ連が裏切り者エリツィンによって解体させられて以降、賃労働者階級が資本の好き放題に搾取されてきて、はじめて得心されたことである。福祉国家をすすめなければ、革命が起きてしまうという恐怖があったればこそ、資本家はそれをいやいや受け入れていたのだが、今やそんな必要はなくなったというわけだ。
 日本国憲法第九条の意義も、それを失った後に日本が不条理な戦争に巻き込まれてしまってはじめてわかる、なんてことは願い下げであるが、事柄はそういうたぐいのことである。