日本の変化とネットウヨクの危機

 関岡氏の放った矢は、確実に、日本を変えつつある。天木氏の立候補もそうである。

 ネットウヨクサイトの中で、さまざまな議論がなされはじめている。それは彼らが対米隷属国日本の現実を知るようになったからである。尊王攘夷、つまりは尊王排外・嫌韓中かつ小泉安倍の従米支持というネットウヨクの総枠の中ではあるが、いろいろ疑問、不安が出ている。ネットウヨクというものの存在自体を否定する主張もその流れの中で出て来ている。
 議論が生じている一方で他方、不安封じ込めのためのキャンペーン的動きもある。河野談話撤回署名運動などがそれである。これは実現をねらうよりは、従米の弊害、政府の無策が露呈しつつあるとき、それから目をそらし、ネットウヨクの不安をおさえ、結束させようというものである。が、そもそも今日本の政治はこんなことを切実に求めてはいない。河野談話は、それ自体は撤回されるべきものではない。安倍の謝罪と同水準なのだ。それをも撤回させるとしたら、まずファシズムクーデター政権を樹立して、そこで強権的に行うしか不可能なものである。ヒトラーのワイマール憲法棚上げのようなやり方である。だが、自分達の妄想に合わせた目標をつくり出して団結を維持する内向きの方法は、それが単なる脱落阻止のためでしかないことが露呈していくと効果はなくなってくる。
 参議院選挙を前にして、ネットウヨクは真剣な反省と、あせりによるあがきとの中にある。