宮沢喜一氏の死の報に接して

 宮沢喜一氏は、自民党ハト派だった。当時はそういうものがあったのだ。今はどこかへ消えてしまった。
 彼が総理大臣になった時、平和主義に向けて、普段の持論を何かしら進めてくれるのでは、と期待したものだった。だが、そんなことは起こらなかった。きっぱりしたことはひとつもなく、だらだらとあいまいなままで終った。今なら、アメリカのしいた路線と利害のネットワークの中にいて、そんなことは普通はできないのだと言える。宇都宮徳馬氏のような人は例外である。共産党のようにそういう利権からはじきだされていれば、断固とした反対ができる。だが、宮沢喜一氏には無理だった。利害の唯物論は貫徹した。だから、宮沢喜一氏のことを思う時、総理になる以前の、さっそうとしたハト派の論客・政治家としての姿と、総理以降のそれとは正反対のさえない姿が悲しい。
死者にむち打つ気はないが、宮沢喜一氏はさえないままでその生涯を閉じた。