迷走する日本の自衛


久間長官殿は、今度は一転して謝った。
だが、内容の間違いを認めたのでも、内容について謝罪ししたのでもない。
要するに、言い方がまずかった、もう原爆投下のことについては触れませんということだ。
選挙を前にして、先輩自民党政治家の、これはまずいよ、に押されただけだ。


迷走する人物が、日本の自衛の最高責任者であるという事自体が問題である。
言い逃れに終始、誤りを訂正する決断力のない人物が日本を自衛する最高責任者であれば、
日本の自衛などできない。
人に言われてしぶしぶ、自説を曲げてしまうような人物に、日本自衛の指揮ができるか。
トップがこんなで、日本の自衛官は、自衛のために献身できるかよく考えてみよ。


この久間長官殿に、核廃絶のためにがんばってもらわなければならないから、やめてもらうわけにはいかない、という発言をした自民党先輩政治家がいた。
いつから、自衛隊防衛庁は、平和建設隊と平和省に変わったのだろうか。核廃絶自衛隊の任務など、聞いたこともない。正反対の、自衛隊には核武装も可能性として考えねばならない、という主張なら、自民党から、新風に至るまでよく聞くが。
それともこの間の省格上げとやらで、平和省に改組されたのだっただろうか。そうだったら、どんなによかっただろうに。菅井はそれを望む者である。
だが、仮に久間氏が平和大臣だったとしても、こんな大臣のもとで、国際政治の大難題、核廃絶などできるはずがない。不退転の決意、固い廃絶の意志と、それが必要であるとも可能であるとも考えていない多くの国と、諸民たちを説得するしたたかな智慧、諸民の利害と過去の戦争犠牲者の怨念を背負って、軍事産業の底なしの欲望と国家支配とに対決する長い忍耐の積み重ねがどうあっても必要だが、今回の顛末を見て、それが久間氏に一つでも備わっているとは思えない。


わけもわからないことになってしまわないためにも、久間氏には一刻も早くやめていただきたい。
安倍政権は、自衛長官を罷免すべきである。
それができないのなら、安倍政権が罷免されるしかない。
こんなやりかたで幕引きなどまっぴらご免である。


最後に、あまり見たことがないので書いておく。自衛とは日本が自ら守ることである。自衛と単なる防衛とはイコールではない。アメリカさんに守ってもらうというのも、日本防衛ではあるかもしれないが、自衛ではない。日本を自分で守るのが自衛隊なら、現在進行しているアメリカ軍との一体化は、自衛隊の自殺行為である。アメリカを米軍の指揮の下で、防衛する、その防衛には、先制攻撃も含まれる、そんな「アメリカ防衛」省に急速になろうとしているのは、おかしいではないか。自衛の覚悟をキメ、それを軍備によってするのか、第九条の精神において、あらゆる物質的手だてと外交的努力、国際政治によって達成するか、それが問題なのである。だが、その選択は、日本人が単なる防衛ではなく、自衛の構えを確立してはじめて可能となる。いまの従米政権ではそれは不可能である。