選挙戦を闘い終えて 成島忠夫

               2007/07/28
               成島忠夫 2007.07.29 pm11.30
 成島忠夫後援会の皆さん、支持してくださった皆さん、9条ネット静岡の皆さん、9条ネット世話人、事務局の方々に心から感謝申し上げます。
 5月28日の立候補記者会見から7月29日投票まで、一気に駆け抜けた感がします。
 現在、私はまだまだ国民の皆さんに訴えたいのですが、なにしろ声がかすれてしまいましたのでそれも叶いません。
 知人、友人、同級生、先輩、兄弟、家族の熱い支援に支えられて闘いぬくことができました。こころから感謝申し上げます。

 今、この瞬間、選挙結果は知りません。
立候補を決断
 私が立候補を決断したのは、深い思慮に基づくものではなく9条ネットが政治確認団体になれるのか、どうか、つまり10名の候補者が確保できるのか、どうか、その瀬戸際に偶々、私が運悪く立ち会ってしまったからであります。
 そうはいいましても、決断が成立したのにはそれなりの根拠というか、ベ−スがありました。
 昨年の6.15以来、多くの先輩方と憲法闘争の展望について語り合ってきました。

 そのなかで私が考えてきたことは
  憲法を前文・9条にわたってとらえ返し国家・戦争について今一度考えてみること。
  自民党憲法草案をきっちりと批判すること。
  憲法改悪を阻止するには国民投票下では3500万人が自民党憲法草案にNO
  ということ。
  憲法問題について各党・各勢力はどういう態度をとっているか調べること。
 結論として改憲阻止で国民の多数派にならなければならない。
でありました。
 決断の中身としては国民の皆さんに憲法9条を変えてはならない、ということを選挙において訴えるということ、安部首相の改憲論に真正面から対決してみたい、でありました。
選挙戦の政治的意義
 選挙戦に突入してからは不慣れからくる問題が一杯ありましたが
  街頭宣伝闘争を東京、大阪、静岡を中心にやりぬいたこと
  「naruchuu.org」ホ−ムペ−ジを立ち上げ有効に活かしきれたこと
  公選ハガキも最大限発行し、発送できたこと
  財政的には必死の努力によりおおきな不足にいたらずにすんだこと
  個人ビラ、9条ネットマニュフェスト、9条法定ビラを撒き切ったこと
など実によく闘いぬきました。
 また、7.21憲法討論新宿10万人集会をやりぬき、9条ネットの結束を固めたこと、民族派の諸君との公開討論をかちとり相互理解を深めたことの政治的意義は大きいといえます。
新潟中越地震
 選挙戦最中7月16日新潟中越地震が発生しました。
 私は政見放送、7.08決起集会で戦争とチェルノブイリへの途を阻止しようと訴えました。
 東電刈羽柏崎原子力発電所の事故発生に対し「全ての原発を停止して下さい」という主張を展開し、演説においても「9条改憲が戦争とチェルノブイリにつながる」と主張しました。この主張を展開するなかで日本の原子力発電全体は危険水域に入っていること、中部電力浜岡発電所東海地震(M8)に耐えられないこと、今のままでは、巨大災害が避けられないことを確信しました。 それと同時に、事態がここまで切迫しているのに「原発即時停止、廃止」の声が目にみえたおおきな怒り、行動になっていないことについて深く考えなければならないと思うに至りました。このことについてはまた述べます。

 9条ネットの一員として立派に選挙闘争をやり抜けたことは、運動にかかわった全ての方たちの必死の努力の賜物であります。少しは光がみえています。
 あらためて深く、深く感謝申し上げます。





天木直人さん http://www.amakiblog.com/
参院選直後のブログ再開時、天木さんのことばが天木氏のブログに掲載された。が、その言葉は現在削除されてのっていない。天木さん自身の今回の選挙に対する本格的な総括と今後の進路の提示を見守りたい。(菅井)



◎栗原きみ子 http://nspkimiko.blog104.fc2.com/
栗原きみ子さんのブログは選挙後未更新であるので、代わりに彼女が党首をしている新社会党の声明をのせておく。(菅井)