自分のためのメモ

志村建世さんのブログにのっていた2007.8.7ヒロシマ祈念式典でのこども代表の言葉をメモしておく。
2007.8.7


     こども代表の言葉

 私たちは、62年前の8月6日、ヒロシマで起きたことを忘れません。あの日、街は真っ赤な火の海となり、何もかもが焼かれてなくなりました。川は死者で埋まり、生き残った人たちは涙も出ないほど、心と体を傷つけられました。目も鼻も口もわからないほどの大やけど。手足に突き刺さった無数のガラス。あの日、ヒロシマは、怒りや悲しみのとても恐ろしい街でした。
 これが原子爆弾です。これが戦争です。これが本当にあったことなのです。しかし、原子爆弾によっても失われなかったものがあります。それは生きる希望です。祖父母たちは、廃虚の中、心と体がぼろぼろになっても、どんなに苦しくつらい時でも、生きる希望を持ち続けました。多くの犠牲の上によみがえった広島をもっと輝かせたいという思いで、原子爆弾によって焼け野原になった街をつくり直してきました。そして、今、広島は、自然も豊かでたくさんの人々が行き交う、笑顔あふれるとても平和な街となりました。
 今、テレビや新聞は、絶えることない戦争が、世界中で多くの命を奪い、今日1日生きていけるか、1日1食食べられるか、そんな状況の子どもたちをつくり出していることを伝えています。そして、私たちの身近なところでは、いじめや争いが多くの人の心や体を壊しています。嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持ちは誰にでもあります。でも、自分の受けた苦しみや悲しみを他人にまたぶつけても、何も生まれません。同じことがいつまでも続くだけです。
 平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。そして、文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、相手の気持ちや考えを「知ること」が大切です。途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、今の私たちがいます。原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を、1人でも多くの人たちに「伝えること」は、私たちの使命です。私たちは、あの日苦しんでいた人たちを助けることはできませんが、未来の人たちを助けることはできるのです。
 私たちは、ヒロシマを「遠い昔の話」にはしません。私たちは、「戦争をやめよう、核兵器を捨てよう」と訴え続けていきます。そして、世界中の人々の心を「平和の灯火」でつなぐことを誓います。平成19年(2007年)8月6日
 こども代表
 広島市立五日市観音西小学校6年 森展哉
 広島市立東浄小学校6年 山崎菜緒