戦前戦後変わらなかったもの

瀬島龍三が死んだそうだ。大本営陸軍参謀として太平洋戦争を中枢部で指揮、戦後も日本支配層の中枢にいた。大日本帝国と日本国の連続性を示す、戦前戦後を通じた日本支配層の代表的な人物である。彼の歩みは、日本の官僚の特性を典型的な形で現している。道義の不在(責任をとらない)と有能な適応主義、私はそう受け止めている。天木氏の外務省の回想を読んでみても、今もそのままだとしか思えない。
直接瀬島氏とは関係ないが、戦争作家であり、「花と龍」の作家であり、現在アフガンで献身している中村氏の親族,火野葦平氏の遺作「革命」に出てくる大東亜戦争下の宣伝官僚たちの姿もまったくそういうものである。

瀬島氏の著書のアマゾンのコメントに
「日本のエリートには、ウルトラ学校秀才の瀬島や辻のような責任を取らない参謀ばかりで、全ての責任をとる将軍や元首というトップエリートがいない(今でも見ない)ことがこの国の欠点なのかもしれない・・・と思いました。瀬島さんのような天才的な調整能力を持った参謀を、使いこなせるトップを制度的に作り出すことこそが、日本社会の目標なのでは?と思う今日この頃です。」と書いているものがあった。



瀬島龍三氏が死去=伊藤忠元会長、政財界「参謀」で活躍

9月4日5時0分配信 時事通信

 戦前、戦中、戦後を通じて政、財界の「参謀」としての道を歩んだ伊藤忠商事元会長の瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)氏が4日午前0時55分、老衰のため東京都調布市の自宅で死去した。95歳だった。富山県松沢村(現在小矢部市)出身。葬儀・告別式の日程などは未定。
 1938年12月陸軍大学校卒、大本営陸軍参謀として太平洋戦争を中枢部で指揮した。満州終戦を迎えたが、旧ソ連軍の捕虜となり、11年間シベリアに抑留された。
 56年に帰国。58年1月、伊藤忠に入社し、主に航空機畑を歩いた。68年専務に就き、いすゞ自動車と米自動車大手ゼネラル・モーターズGM)との提携を仲介した。72年副社長に就任し、安宅産業との合併を担当。副会長、会長、相談役などを経て87年7月から特別顧問、2000年6月に退任し、理事。航空機商戦を描いた山崎豊子氏の小説『不毛地帯』の主人公のモデルといわれた。