愛がなくっちゃ

愛について書きます。

僕は長らく、愛というものの存在を知りませんでした。

両親ともに愛に淡白な性質だったことも、いそがしくて会話をする時間がなかったこともありますが、
とにかく僕自身が深く人とかかわらない人間に育ったということは事実です。
取扱説明書的にいうと、僕は人間を扱う基本は、理性的に相手に接するということだと長いこと信じていました。
他人に何かを要求するなら、その人にわかるようにていねいに、まっすぐに顔を見て説明すること。

僕だって何回か恋愛の素みたいなものには出会いましたが、人とじっくり深くつきあうということは苦手でした。

親子の愛情が大切だという、人間主義者さんが力説するのを聞いても、ぴんとこなくて、そんなことより、親が子供を人間としてきちんと取り扱うこと、ちゃんと話をすることだよ、と思ったものでした。

今は、考えが変わりました。愛というのは、存在する。でも、まだあまり多くない。かつての僕同様に、愛を知らない人はたくさんいる。家族や仲間の中は愛情原理を認めても、それを越えたところは、みんな勝手にしてよ、という感じの人が多いと思います。インターネットはそれでいいっていう意見も多いですよね。

昨今、はてなで言われている、しあわせを報告したら、おめでとうコールが山のようにおきて、その様にむかっとした人が、きつい書き込みしたら、総攻撃されてしまったという、ことがらも、多くの人が愛を知らないという現状のあらわれのような気がします。

仲間を越えた人間関係にも、愛や思いやりは実在します。それをインターネットでも大切にするべきです。そういうものはない、と否定する人はそれがわからないのだと思います。

僕が愛が実在すると知ったのは、親子関係からでも、恋愛関係からでもありませんでした。ある場においてでした。それはまた機会があれば・・・。