世に倦む・・・

大臣をやめ、議員の地位さえほうりだして引退したはずの竹中平蔵が、なぜかテレビにけっこう登場して発言しているのが疑問であったが、世に倦む日々さんの最新のブログを読んで、得心した。消費税増税反対と、宗旨替えしたのだろうか、と思っていた菅井は甘ちゃんである。やはり、竹中平蔵は筋金入りのひどいやつである。

《最近の竹中平蔵は、消費税導入反対の論陣を張っている。「過去の人」になりつつあった立場を、消費税反対論者としての意外性で斬新な存在感を演出し、再びマスコミに注目される政策論者として復活を遂げつつある。この男は常に巧妙で狡猾だ。政府が消費税増税財政再建骨太の方針を固めたのは、竹中平蔵が閣僚をやっていた小泉政権のときである。すなわち、竹中平蔵の言う「消費税増税反対」は、もっと大幅に社会保障を削れの意味であり、決して庶民の生活を守ろうという動機のものではない。竹中平蔵は「消費税を社会保障目的税にするのは反対だ」と言っていた。社会保障を切りたいのだ。米国型の、社会保障から政府が手を引く「小さな政府」を早く完成させたいのである。
消費税はいずれ上げるが、それは一般財源に回すのであり、社会保障には回さない。その前に社会保障の支出を削減する。削減した分は「小さな政府」で企業減税に回す。それが竹中平蔵の政策モデルだ。「消費税増税反対」の表面だけに目を奪われてはいけない。》

いろいろと言いたい事もあるが、世に倦む氏の言にははっとさせられることが多い。 

森永卓郎氏に対する批判もである。

森永卓郎のコメントは常にこうだ。悪くなります。苦しくなります。年間300万円で生活しましょう。今年は200万円で生活するノウハウ本を売る気なのか。エコノミストとして他に言うことはないのか。庶民に生活防衛させる前に、政府に政策転換をさせる考えはないのか。森永卓郎の言い分は、立場は弱者である国民多数の側に立ちながら、政府に政策転換を主張する正当性や妥当性が全く出て来ない。市民的主体性の視点や意思が欠落して、庶民は常に権力者や富裕層に苛められて耐えるものだという諦めの境地で経済を論じている。そこに自分の議論の立地を置き、後ろ向きの支持と共感を集めている。「負け組」経済評論家で商売している。だから、新自由主義とは矛盾しないのだ。新自由主義の敵にはならないのだ。》

森永氏に対するこの批判は、本質的には、日本のほとんどの批評者にあてはまると菅井は思っている。その中には、菅井も、また、世を倦む氏も残念ながら入っている。この批評を乗り越えているかもしれない論者は未だごく僅かである。