秘密基地遊びをしてなくなった子供がいた


穴を掘って秘密基地遊びをしていた子が土がくずれて窒息死して、メディアに報じられた。事故にあわなければ 報じられることはなかっただろう。
菅井の子供の頃、近くのセメント工場の敷地で遊んでいて、吸い込まれて死んだ子がいたっけ。
大して雪の降らない東京で育った菅井は、マンガで、北国の子が雪でトンネルやでっかい城塞をつくって遊んでいる話を読んで半信半疑ながら、そんな遊びに憧れた。札幌の雪祭りの像が中まで雪じゃないのを知ってがっかりしたのはそのずっとあとだ。
20世紀少年のケンヂたちだけではない。
今も秘密基地遊びをして、事故にあわないために、メディアにさらされていない子たちは他にもたくさんいると思う。
秘密基地遊びをして、窒息死などの事故にあうのは、
毎日をしのいで生きて、生き詰まり、自殺や犯罪にはまってしまう可能性とどちらが大きいだろうか。  
そんなに違わないような気もする。


先日古本屋の張り紙に気がついた。18才未満は、自分の古本を売るのに、都の条例で必ず親の許可がいるようになったのだそうだ。書類にサインしてもらってくるか、その場で電話で確認するか、親同伴で売りにくるかしかダメなのだそうだ。
菅井が初めて自分の本を売ったのは、18才をすぎていたかもしれない。だが、自分が大切にしていて、でも売ろうと決めて売る本について、親の許可がいるかもしれないなんて考えたことは一度もなかった。
子どもの持っているマンガや本をまとめて売ったとしても大した額にはならない。でも、自分の判断で自分の責任でそのわずかの額を手に入れようとしたり、売って他のマンガを買おうと言うことはあってもよいことだ。
18才から選挙権を与えようという声がある一方、その18才はそれまで、自分の独立した意志と判断でただの一冊の自分の本も売った事がないというのは、おかしくはないか。


18才が子供かどうかも疑問だが、子供を、大人の秩序と監視のもとにとじこめておこうというのは、もっと違っている。
今も子供たちは秘密基地をつくって遊ぶのであり、それは大人の目をかいくぐってである。よしんばそれをみつけてもちゃんとした大人なら知らないふりをするというものである。