自民族の独立性を求めることと世界の平和を求めること

それを抑えられてる民族が、自民族の独立性を求めることは正しいことである。
世界の平和を求めることは正しいことである。
だが、この2つのつながりを正しく立てることは必要である。

菅井はオリンピックの中にある国家主義、商業主義、勝つための行き過ぎた行動などには反対である。近年、それはどうみてもめだっているからである。だが、オリンピックが世界の友好のための大事な行事であるということは疑いないことである。オリンピックがおくれている国の国威発揚や、民族の自信を手にいれるために使われることがあるにしても。戦争があれば、スポーツの祭典などふっとんでしまう。

また、民族の自立、文化の尊重と言うことは、その民族のエゴではない。世界の中では、いかなる民族もそれが尊重されるべきなのである。

今の日本では、民族の自立、尊重ということを、エゴイズムの主張の延長であるかのように勘違いしている人が多い。民族の実体を大事にするはずの民族主義が、他国を見下す排外主義になっているのはその現れである。


日本人が自国のことのみに専念し、他国の人々の自由や権利に無関心であっていいはずはない。チベットで起こっている一連の動きについても同様である。

だが、一部に、これを中国バッシングというもともとからある動機のために利用し、こともあろうに、中国を攻撃するためには、北京オリンピックなどつぶしてもよい、と平然としていう連中がいるが、それはまちがっている。暴力的に聖火リレーを妨げるのも正しくない。

それらの人は、自民族の自由独立と言う価値を、世界の平和よりも 正しい絶対のものだとしているからである。両者は敵対するものではないし、あってはならない。