刑罰の目的

本村さんが会見で、「刑法とは・・・」と言っていた。憲法の本質論については、ある程度考えたけれど、刑法については考えたことがなかった。本村さんが誰のどんな論を引いているのかは分からないので、考えるために
刑法の目的 で検索して筆頭にあった論文から関係ありそうなところを引用する。

《二 刑罰論では、応報刑目的刑か、絶対主義か相対主義かの対立を経て、相対的応報刑論が多数とされる。たしかに絶対主義が「不正に対する正の貫徹」や「正義の要請」といった観念的な議論を言うのでは不十分であり、現在の国家刑罰を根拠づけるには何らかの合理的な制度目的が必要だとする相対主義が妥当であろう。しかし、その目的を犯罪防止と同視するのは問題である。国連会議の標題で「犯罪防止」と「犯罪者の処遇」が並べられ、犯罪者処遇は、再犯予防手段としての改善矯正治療処遇から、「人道的処遇」のように、犯罪者とされた人の取扱といった一般的な意味でも用いられるようになってきた(4)。つまり、犯罪者の改善矯正による特別予防一辺倒ではなく、「犯罪を行い、犯罪者とされた人をどう取扱い・処遇していくか」という問題の独自性に配慮がなされてきたといえる。また、近代刑法の出発点におけるベンサムや新派刑法学も主張した犯罪被害者国家補償制度が一九六〇年代に実現を見たが、これを刑事政策で議論するために、犯罪防止と並ぶ、犯罪の善後措置が言われ(5)、刑罰の制度目的としても犯罪予防を否定し犯罪の事後処理が主張される(6)。合理的な犯罪対応として、将来起りうる犯罪の予防とともに、現に起きてしまった犯罪を事後処理することも考えられねばならない(7)。犯罪被害者への支援も犯罪処理に位置づけられる。刑法や刑罰を、このように人間社会で生じた犯罪をどう事後処理するかの点から捉え直すことが必要である。現に行われた犯罪に対して、罪刑均衡、犯行にみあうものとして科される刑罰の制度目的としては、事前的なものである犯罪予防よりは、事後処理機能こそがふさわしいであろう。相対的応報刑論に立ち、相対主義の内容である目的としては犯罪予防ではなく犯罪処理を考えるとともに、応報刑論の内容としても、応報の正しさによって刑罰を正当化する応報刑主義ではなく、刑罰の応報的性格を復讐や報復とは区別された(行為への)報いdesertに見ることができる(8)。》 


参考になった記事
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20080422