ボブマーリー ワンラブ

昨日の天木直人さんのブログに 日本で開かれているアフリカ諸国会議の説明があった。 
中で特にはっとした部分は


《そもそもアフリカ諸国の窮状は、英仏をはじめとした欧州列強の植民地政策の落し物である。
 そして今でもアフリカ諸国の大部分は旧宗主国との結びつきが大きい。
 アフリカ問題の解決は、一義的には旧宗主国である彼らの責任なのである。
 日本がそれに協力する事はもちろん結構なことだ。しかし、日本が単独でそれを行うには問題が大きすぎるし、また日本一国でなしうる事業ではない。》


というところだ。アフリカは1960年ごろ、アフリカの年といわれるほどに独立解放がいっきにすすんだ。そして、南アフリカの人種差別政府が倒れたことはその流れの完成ともいえた。その変革には天木さんも日本で行動をしていて、関わってるのだ。アフリカの未来は明るかったのである。それがいつしか、いたるところで内戦、部族間衝突、難民、飢餓、エイズなど様相が一変してしまった。なぜだか解せない気持だったが、天木さんの整理にそうだと思った。
 だが、アフリカ人の多くはその解放の時のことを忘れていない。NHKの番組で南アフリカ流入しているジンバブエ難民の人がこの歌について目を輝かして語り、楽しそうに歌い踊っていたが、 ボブ・マーレーの「ワンラブ」はその時の未来への展望とかたく結びついた歌だったようだ。アフリカの未来はそのときのことをからだに記憶している人々の手できっと実現する。


 


http://www.nhk.or.jp/omoban/k/0518_14.html

《世紀を刻んだ歌 「ワン・ラブ ボブ・マーリー」      デジタル衛星ハイビジョン・午後7:00〜8:29
 ボブ・マーリー。1970年代、カリブ海の島国から飛び出して世界中にレゲエという音楽を知らしめた、ジャマイカの国民的英雄だ。これは、「イマジン」と並ぶ愛と平和を願った歌として、誰もが一度は耳にしている名曲「ワン・ラブ」の数奇な運命を辿る物語である。
 「ワン・ラブ」には、もと歌がある。アメリカ・人種差別撤廃運動の名曲「ピープル・ゲット・レディ」だ。それをラジオで聞いていたボブが、歌詞を作り変え、ジャマイカから世界へと広がった。78年には、ジャマイカの内乱を終結させる歴史的コンサートのフィナーレを飾り、80年代初頭には、アフリカ・ジンバブエ独立闘争のゲリラたちが口ずさむ歌となる。さらにボブの死後、この歌は南アフリカアパルトヘイト撤廃にも関わり、愛と平和のメッセージを伝える歌として、99年にはBBCのミレニアム・イブのテーマ曲に選ばれた。現在も、アフリカで、ジャマイカで、欧米で、希望の歌として歌いつがれている。
 40年以上も前にカリブ海の小国で作られた歌が、なぜ今なお世界中の人々に歌い継がれ、愛されているのか? そして、アフリカは、ジャマイカは、ボブが夢見た世界になったのか? 貴重な映像と関係者の証言、資料で読み解く。 》