レーニンは「後進国」革命論を唱えた

ついこのあいだ、文献を読んでいて気がついた。レーニンロシア革命をやった当初、ヨーロッパ(ドイツなど)でも革命がおこり、それと呼応して、資本主義未発達のロシアも社会主義に進めると考えていたことはよく知られている。「先進国」革命論という正統理論の枠内で、ロシア革命を考えていたということだ。だが、ドイツなどでの革命弾圧により、ヨーロッパ革命がおこらないと知って、どうしたか。スターリンはロシア一国でも社会主義は実現するという一国社会主義論をとったわけだが、レーニンについても同様にみられていることが多いのではないか。だが、レーニンは、一国社会主義論ではなく、ロシア革命は「後進国」の手本となることは可能であり、むしろ「後進国」に革命をひろげることを考えていたのだった。ロシアのネップ=「資本主義」の復活と並行してすすめられる以上は、それは「社会主義」革命とはいえない「革命」であろう。しかし、その予想は、中国、朝鮮の革命となったし、東欧の人民民主主義国家群というかたちでたしかに実現した。スターリンのてによって。 
また、戦争のあとで革命がおこるという主張もあたった。アジア・太平洋戦争後の日本の状況は、その一環でもあり、1960年の反安保闘争敗北まで続いたのだった。