結局うなぎはうなぎじゃないですか

偽装うなぎの事件があったが、何が偽装なのかといったら、何のことはない、産地が偽装でうなぎはうなぎなのだそうだ。うなぎなのに、どこのうなぎでないからけしからんというのは、理屈はわかるが、菅井の感覚からすると承服できない。うなぎによらず、商品は、原料あってできるものである。たりなくなれば、つきあいの少ない外国からだって仕入れて調達するものだ。その場合問題になるのは、その物質がなにかで、どこ産かということではない。確かに純度とか、微量成分とかがちがうかもしれない。石炭だって、良質といまいちがある。でも、鉄なら鉄、石炭なら石炭であればよいはずだ。
うなぎだって、同じじゃないか。どじょうをうなぎと偽ったのならともかく、こんなに大騒ぎすることではない。異常に高く売ったのなら、高すぎるということは問題かもしれない。だが、そうでなかったら、産地がどこなどとめくじらたてることではない。
回転すしの方がよっぽど偽装だらけだろう。

菅井もかなりまえには、アメリカの農薬使用基準の信じられない程のいいかげんさに、国産の食品だけをたべよう、と想った時期もあった。だが、日本の基準も次第にアメリカ並みにされ、よゆうもなくなっていくにつれて、そんなことは言っていられなくなってしまった。だから、もっとお金に余裕があったら、菅井も、国産以外は食べない、日本産うなぎと表示しながら、中国産とはけしからん、と怒ったのかもしれない。

結局、うなぎでちゃんとうなぎの味がして、安全なものであれば、どこのものだっていいので、やたら産地だの銘柄だのにこだわる人々の感覚やそれに追随して、どこがちがうかよくわからないようなのにまで、等級だの、差別だのして売る業者のほうが異常な気がするということである。