毒食う話と、黄水晶の夜

汚染米の輸入をとめると大臣が言っているそうだが、
そもそもこの汚染米は、
国内で充分に足りていて輸入の必要のない米を
ミニマムなんとかといって強引に強制輸入するようになったから生じた外国米だろう。

農薬については、アメリカなどの基準は日本の何百倍もルーズであり、農薬漬けというべきものだ。
外国から輸入すると決メタのは、日本のきびしい基準をとっぱらわせるためではないのか。

国内で何かの原因で汚染したものを事故米と呼ぶのはわかるが、それぞれの国のそれぞれの
基準や監督方法のなかで当然のように出る 日本基準からすればはねられる
米(中国でのメタミドホスの禁止はつい最近である)を事故米と呼ぶのはどうだろうか。

むしろ、国際理解米とでも呼んで、別の基準であつかった方がいい。 多少毒でも食った方がいい。政治家は率先してそうすべきである。それを一回食べただけで体に悪いわけではないし、毒入り餃子のような。犯罪によっておこるようなレベルの濃度ではないのである。


日本基準をやめてアメリカ基準に全部きりかえて日常化するなら大変なことだが、一部にとどまるものなら、そういうものの流通の管理のしかたについて、幅をもたしたほうがいい。とりわけ、アメリカとの牛肉問題でわかったように、その国の普通の人びとが日常食べているものが、日本からみてどんなに危険だとしても、日本基準で押し切ることは大変なことなのである。

貧乏人は害のあるものでも安ければそれでもほしい、というのは、比喩であるなら、すでに日本で実現してしまっている事態だし、そのうち、比喩ですらない現実になってしまいかねないのである。

それが自公政府のアメリカ追随政策がすすめていることだ。