小林よしのりの天皇論

小林よしのりサピオ天皇論を展開している。
一回目を読んだときはこれはひどい。俗論をそのまま書いているだけじゃないか。初詣についても
たけしの番組ほどの知識もない。初詣=日本の伝統という勘違いだ。にほんぶんかとてんのうのぎしきのかんけいについてのけんとうがなく、ぞくせつのいったいせつをながすだけだとおもった。これならわざわざかくいぎなんてなにもない。
ダガ、にかいめは、にほんぶんかろんではなく、てんのうのさいしにしぼっていたからよかったのだとおもう。
さいしおうとしてのてんのうについては、ただしいりかいをえがいていた。
てんのうせいがせいじてきそくめんをもたなかったというのはじじつにはんするが、てんのうのうたが
くにのほめうたであること、そのいみではきょうどうたいとしてのにほんをじゅじゅつてきにかっせいかしようとするものであることがきちんとのべられていた。
これは、うたかいはじめのせんじゃもやったことのある、おかのひろひこしがこだいのてんのうのうたのかいしゃくのなかでくりかえしてのべていることである。
「あいこく」のかたがたもこのてんはよくわかっていたほうがよいだろう。てんのうはだんけいでDNAがけいしょうされているからえらいなんてことばかりいっているのではてんのうせいをほんとうにようごしていることになるか、はなはだこころもとないからである。


たけしのばんぐみはずいぶんかんしんをよんでいるようで
http://blog.goo.ne.jp/kyoto-syomona0930/e/b987f332c00917a99c54413c3eb4e4e0
のような、かんそうもあれば、
http://d.hatena.ne.jp/Yuki-Kitagawa/20090105/1231084703
のようなはんのうもある。
かんだみょうじんのはんぎゃくしゃ・まさかどをまつるなどは、
いまでいえば、
せっしょうのみやをおそったなんばだいすけやせんそうちゅう、つきじけいさつしょにぎゃくさつされたこばやしたきじを
じんじゃにまつって、だいじにすることとおなじだとおもうのだが、今の日本国家にはそれはできまい