エチオピアでゆうかいされたあかばねさんがかいほうされた。あかるいひょうじょうのしゃしんをみるにつけ、よかったなとおもう。
だが、それにつけてもおもいだされるのは、イラクでゆうかいされ、ざんさつされてしまったがくせいさんのことだ。あのばあい、かれのいのちをうばったのは、ゆうかいはんとはこうしょうしない。ゆうかいされたのはじこせきにんだと、メディアにたれながしたとうじのそうりだいじんだ。それがいっさいのこうしょうのかのうせいをたった。こんどのあかばねさんのばあいもたがくのみのしろきんがしはらわれたことがほうじられているが、だったら、あのときのがくせいさんはどうしてみすてられたのか。かぞくのひとたちまでバッシングにあった。
どこがちがうのか。こくさいてきないりょうチームだったからがくせいとはちがうのか。オランダじんだんせいといっしょにつかまっており、がいこくにきがねしたのか。
いやいや、そうりだいじんが あのとき、こいずみだったからにちがいない。しょみんきりすてのしんじゆうしゅぎせいさくで、こんにちのさんじょうをみちびいた、あのにんぴにんこいずみである。
そのこいずみが、つみをくいて、てらできんしんしているどころか、ぜいたくせいかつ、かいがいりょこうをたのしんでいるときいて、こころおだやかでないひとは、けっしてすくなくない。
さいばんをつうじて、ごうほうてきにふくしゅうしんをまんぞくできる、めぐまれたひともいるだろうが、このいかりはどうやら、そういうかたちではしずめられることはないみたいだ。
こいずみやそのしゅじんだったブッシュが、たたみやベッドのうえでやすらかなしをとげるなど、ゆるすことはできない、そうおもうひとはせかいじゅうに、にほんにたくさんいるとおもう。
なんにせよ、びんぼうだとか、いまのこっかにきられたしょみんはすくってはもらえないということだ。