ちほうととうきょうのかくさ

ちゅうおうとちほうのかくさ については
いろいろいわれるが、
ちゅうおうはちほうのとみをさくしゅしていることは
まだそれほどかたられていないない。
ちほうをさくしゅしてためたとみが、
とうきょうのかじょうじんこうをやしなうことになっている。
とうきょうにそんざいするちんろうどうのおおくは、
まっとうなろうどうではなく、
くずしごと、
ちゅうおうにうばいとられてきているたくさんのとみのいちぶを
おんけいとして
もらうためのいいわけのようなちんろうどうである。
はけんやふりーたー、ほーむれすにたいして、
なまけていないで「しごと」さがせ、
というこえは
じこせきにんろんをふりかざして
みんなの、 そのなかにはじぶんもふくむというのに
くびをしめさせようとしている
ねっとうよくけいにおおいが、
その「しごと」なるもののおおくは
そういう こういである。
それに じゅんぜんたるはんざいであるおれおれとかいう、さぎという「ろうどう」も
ふくまれる。
たしかにじかんはかかるし、ぎじゅつもいる。
が、それがくずしごとにすぎないこと、しごとのふりをしたじかんつぶしであること
にはかわりがない。

ちゅうおうによるさくしゅのしくみをめいかくにいいあてるひつようがある。
それぬきにちほうぶんけんといってもなににもならない。