日本人であること=日本語を母語とするということ
日本人であることの核心=「和歌」を詠むこと
日本語の核心=漢語と和語の二重性 日本人の思考のあいまい性の根拠
漢語→漢字 和語→かな
近代(明治以降)における矛盾
日本語の中における 日本語 VS 西欧語(英語・ドイツ語)
(翻訳西欧語→カタカナ西欧語→アルファベット西欧語そのもの)
第1フェーズ 日本語+翻訳西欧語 漱石における完成
第2フェーズ 日本語+翻訳西欧語+カタカナ西欧語 村上春樹=日本語の国際語化
第3フェーズ 日本語+翻訳西欧語+カタカナ西欧語 VS 英語の浸食 現在 未解決
今までの国際語である英語による日本語の消滅のおそれもある
現在の日本文化をめぐる 動きは、第2フェーズと第3フェーズの同時進行
この帰趨いかんによっては、
日本語は失われる
1 漢字かな表記の消滅
2 英語の支配言語化
日本民族を守るということは、日本語を守るということである。
これが土台にある根本問題である。
追記 2/14
小学校笑いぐさ日記
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728
日本語は滅ぼすべき。(なるべく計画的に)
は正反対の見解だ。一種の英語一元化必然論を受けいれての議論。
菅井がここで主張しているようなことを考慮してはいない。
英語をつかうようになることと、母語を英語にしてしまうことには決定的な違いがあるのだ。
それは、帰国子女などバイリンガルの人たちのいろいろによくあらわれていると思う。