村上春樹氏のエルサレム賞受賞をめぐる論議は、「辞退を求める署名」という実践の出現と、そのメディア報道以降、それまでのまっとうな議論から、ネトウヨらのサヨクたたきという、ステロタイプに移行しはじめている。
菅井は、村上春樹の読者であり、それゆえに彼の志している方向に共鳴するから、「辞退を求める署名」という実践に参加しないが、そうでなかったら、参加したかもしれないぞと思う。そういう実践は充分にリーズナブルである。事柄は、政治か文学か、ではなくて、文学の政治とは何か、だからである。だからこそ、そこには議論されるべき何ものかがあったのだ。
 いま、試されているように見えるのは村上春樹氏であるが、次はそれは我々の誰かでありうる、というより、私たち一人一人にとっても「エルサレム賞受賞」は、必ずやってくる。
 小説「ダンス・ダンス・ダンス」で、若くはないと自覚する主人公が完全黙秘を通して、帰ってくる場面がある。一人称で語られるこの作品で、彼は自分であることをかろうじて守って生還する。
 文学と現実を切り離して取り扱うことなんて、できるわけがない。生活と現実を切り離すことができないように。そして、文学は現実に対して無効だなどということもない。

おとなり日記
徒然な日々に セコイ似非平和主義者達
A Prisoner in the Cave 村上春樹さんとエルサレム賞
(元)登校拒否系 後出しで悪いんだけど、交換条件な