琥珀色の戯言さん 村上春樹文春掲載のインタビューにコメント

琥珀色の戯言さんが文藝春秋の村上インタビューを読んで感想を述べていました

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20090311#p1

きのう、僕が文藝春秋をまだ読まないうちに書いたことを別の言葉で書いているみたいだなあと思いました。それはともかく、よい紹介です。おすすめします。



琥珀色の戯言さんは、《「村上春樹が、こんなに親切に、わかりやすく読者に語りかけてもいいのだろうか?」という気もしたんですよね。インタビューのなかには、体制やシステムと、ひとりひとりの人間の心とのかかわりは、僕が作家として一貫して書きつづけているテーマです。という「根源的なネタバレ」まで含まれています。
「こんなこと自分からしゃべる人だったっけ?」というような違和感もありました。》と書いています。

村上春樹はしばしば自作について、誰よりもわかりやすい、的確な解説をする作家だなと前々から思っていたので、菅井には違和感はなかったのですが、確かに、自分による解説であっても、単純化は単純化だよな、と思いました。ご本人だけに危険です。

それは、菅井でいえば、マルクスエンゲルスの本の最良の解説者はマルクスエンゲルスだ、みたいな感じなんですが(空想から科学へとか)


《力のあるメディアを背景に、自分の言葉を伝えられる村上春樹という存在は、単なる「卵」ではないし、「壁」として機能しているという面も確実にあります。
そして、村上さんは、「『壁』としての村上春樹」をちゃんと自覚していて、あえて、エルサレムに行ったのではないかな、と僕は感じているのです。
ひとつの「卵」であるのと同時に「壁」であることからも逃れられなくなってしまった、大作家・村上春樹。もう、後戻りはできない。
僕はファンとして村上さんの世間的な成功を喜んでいるけれど、正直なところ、ほんの少しだけ寂しい。》


最後の一文が、琥珀色の戯言さんらしいと感じます。
菅井はここで村上春樹が賭けているのは、「世間的な成功」というのとはちょっと違うことだと感じ、村上さんの文藝春秋へのインタビュー掲載(文藝春秋によるインタビューではなく、村上事務所が提供したものと読みました。編集部が修正するなら、インタビュー掲載には応じない、という契約でもかわしてたのでしょうか。こんな、売るのには絶好の企画なのに、なぜか表紙にまったく載っていないというのが、文芸春秋らしくて菅井には面白かった)と自分のスピーチのオリジナルテキストの公開という自覚的な行動の生じる結果をちょっと期待をもって眺めている感じです。

菅井にとっても、このインタビューがのってなければ金輪際買うことのない雑誌ですが、この号ばかりはお宝になりました。