ika18さんからコメントつく!

 実は、少し前から菅井日記はコメントを公開するよう変更していたのだが、見にくる人はほとんどロボット検索ばかりなので、特に変化もなかった。たまに、いやがらせのエロサイト宣伝がひっかかったりしたが、すぐに削除させていただいた。
 そもそも、自分の考えをつくるのに、ひともきけるところで自分の耳にとどく独り言を言明する必要が菅井にはあって、はじめた日記なので、人の話をきくことでわずらわされることはむしろ望まなかった。
 だから、ながらく、コメント欄もトラックバックも公開しなかった。卵の殻はそんなにつよいわけではない。特に、それがつくられるときは特によわい。そんな時に、「壁」から派遣されたのも含めて、他の卵たちに強い言葉を送られれば、「卵」になることさえできない。議論をすることになってしまっても、基本的にどなたとも、自分の考えをつくるため以上の議論をしなかった。つまり、数回言葉をかわして、対立点がはっきりわかったら、それでよかった。あるいは、菅井の考えがはっきりすれば、それでよかった。
 典型的に「わたしがどう考えるか」で、主語は「物質」でも「歴史」でも「われわれ」でも「人類」でも「人民」でも「賃労働者階級」でも「諸民」でも「貧乏人」でもないのだ。
 コメントを公開することになってもそのことは同じだ。しいていえば、卵になんとか殻らしきものができたので、もうそのぐらいしても大丈夫だろうということだ。


 それが、めずらしくコメントがついていたのだ。しかも2回も。


 村上春樹が存在していなければ90年代の冬を生き延びることができなかっただろう菅井としては、しかたのないこととして、村上春樹氏のエルサレム賞にたいする行動についてばかり書いてしまったので、それでこんな辺鄙なブログも目にとまることになったのだろう。


2009年02月28日 斎藤美奈子はうそつきかでなければなまけものである
ika18
『壁の側に立つと明言する人はいなかろう。
イスラエルの側に立つと述べる人だってイスラエルの人たちは「卵」だと思っているわけだろ?
少しは大人になりなちゃいね。ぼく。』

 最初の1文は、斎藤美奈子の言った事をそのまま断言として繰り返しただけで、この方の態度表明とよむ。「私は斎藤美奈子の側に立つ」と。でなければ、文中で菅井が、「確信的な嘘つきでないのなら、村上春樹スピーチに対するネットの反応を丹念によんで確認せよ」と書いたのだから、「能う限りよんだが、そんなものは一つもなかった」、と書くはずだと思うから。
 斉藤美奈子のように言うひとを菅井はたくさん知っている。というか、そもそも菅井はそういう人のご先祖みたいな一人をとりあげて論文みたいな批判を書いたこともある。だから、ika18さんのようなご意見があることは知っている。
 2文については、申し訳有りませんが、菅井は、それはわたしにはわからない、としか言えません。イスラエル人の知り合いは菅井には一人もいません。それは、知り合いとまではいえないが、顔見知りのアラブ人はいるというのと同程度の言明です。村上春樹氏の方が今回のことで少しわかるのではないかと思います。少なくとも、イスラエルの雑誌の一つは、「イスラエル(人)は卵ではない」と言っています。
 3文も実は菅井にとっては、なじみのある言葉。まだ生きている父親にもしょっちゅう言われる。菅井は、ずっと、自分は他の人となぜおなじように考えないのだろうか、と不思議に思ってきたが、菅井の考えや感じのある部分は世間のある人々からは「おこちゃま」だと言われて批判されていることも知っている。田中康夫のビデオをみたら説明がしやすいけれど、ああいうことだ。だけど、感じ方とか考えというのは、「おこちゃま」だと言われたからといって変わるものではないのですね。僕も大人にならなければ、と別の文脈で思ったことはあるんですが。




2009年03月11日 琥珀色の戯言さん 村上春樹文春掲載のインタビューにコメント 
ika18 2009/03/13 00:48 村上春樹が「壁」?
「壁」ってものがシステムとするなら、まさしく村上春樹は「壁」の繰り人形でしかないだろうなあ。
卵ってのはわしのブログでも書いたように、そう安易に使って欲しくないのだよ。あんな自愛の小説家に。
もっと大人になりなちゃいね。ぼく。
http://d.hatena.ne.jp/ika18/
んじゃ、ばいばい。

で、次のコメントもika18さんでした。
でも、村上春樹が「壁」と書いたのは、菅井ではなく琥珀色の戯言さんで、菅井の表現は、「村上のスピーチは、マスメディアに取り上げられたことによって、支配的イデオロギーの領域に到達した」「村上は支配的イデオロギーの空間における積極的なプレイヤーとなった」(2009年03月10日 村上春樹は日本イデオロギーに何をもちこむか )
ぼくはいくら言葉をはいても、いまのところ、その言葉は支配的イデオロギーには達しません。でも村上氏は達した。プレイヤーとしての彼はもちろん「壁」(卵をまもるためにできながら、独立し、逆に卵を押しつぶすシステム)の操り人形でもあると思いますが、其の場合、いかなる壁の操り人形かということが問題だと思います。どのみち、イデオロギーは「壁」の言葉なのですから。でもそれは僕たちを支配している。
2文では、卵という比喩を安易に使ってほしくない、とのことですが、ika18さんは自分のブログで説明しているそうなので、それを勉強させてもらってから、もう一度考えてみるつもり。とりあえず、誰かが安易な使い方をしていたら、自分がそうでない使い方をすればいいだけのことのように思う。リンクのページを読んだが、ここには卵のことではなく、必敗の思想が書かれているばかり。いきなりこんな重いテーマに真面目に立ち向かおうとしたら、できたと思ったわたしの卵の殻だって、薄皮だったってことになってしまう。あるいは壁に砕け散るか。常に卵の側に立つ菅井としては、菅井卵を壊す訳にもいかず、当面スルーしてしまう以外にはありません。

では。