村上春樹文学の イスラム圏での受容について

村上春樹のイランでの受容の参考になる以下の翻訳が目にとまりました。
エルサレム賞受賞より前のもので、
東京外国語大学中東イスラーム研究教育プロジェクトの手になるものです。



ペルシア語訳・村上春樹短編選集『どこであれそれが見つかりそうな場所で』をめぐって
2008年05月31日付 Jam-e Jam紙
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080606_152348.html


イランでは、「海辺のカフカ」が訳されているそうで、この文章は直接には、「どこであれそれがみつかりそうな場所で」の翻訳についてのものですが、内容から推測すると、ねじまき鳥クロニクルの抜粋も入っているみたいです。

短編「どこであれそれがみつかりそうな場所で」は菅井も好きな物語で、
菅井日記 http://d.hatena.ne.jp/nobtotte/20050326
でもとりあげています。

以下に、印象に残ったところを写しておきます。<<村上は、自ら述べているように、70年代アメリカのダーティ・リアリズム、特にレイモンド・カーヴァー[1939-1988]の影響を受けている。彼は自ら、カーヴァーの小説の衝撃は彼にとって稲光ようなものであったと述べており、この点で、村上はカーヴァーのミニマリズムの継承者として位置づけられるべきである。
彼の物語の主人公は、古典文学に出てくるような、一人で物語全体を担い、希望を託される完全無欠な英雄や勇敢なヒロインではない。村上は、偉大なヒーローたちがもはや死し、ただ主人公の存在の内に見出される、人間性の微かな光に心を留めるべき時代の作家である。>><<村上は、現代の孤独な人間たちを描く作家である。短編選集『どこであれそれが見つかりそうな場所で』で描かれたように、その人間たちはどこだか知らない場所で、それが何なのかわからないものを探し求めてさまよっているのだ!
 [彼ら現代人は]外部からの影響や命令に従って決断を下し、自分を保てるぎりぎりのところで、孤独の闇と自らの生に対する蔑みへと自分を追い立ててしまう人間たちだ。>><<短編『もうひとつの死に方』では、満州島[原文のまま]に一人残った獣医が、自分と同じ日本人の軍人たちの手によって、中国人逃亡者らの一団が無惨に処刑されるのを目撃する。中国人を殺すのに無駄な弾は使うなという命令で、軍人たちはやむなく野球のバットや銃剣を使って中国人たちを殺す。
兵士たちは当惑しながら中国人たちを殺していくが、一方、彼らの連隊長も獣医も、この殺戮がいかに無意味であるかに気づいている。戦争は間もなく終わろうとしていて、日本がもうじき負けるだろうということを、皆が知っているからだ。そうこうするうちに、獣医は、殺戮の犠牲になった人の死体が捨てられて折り重なった穴へところがり落ち、血まみれの死体の上に倒れこむ。
 読者たちは、この転落が意味するもの―この体験をした後この獣医は、悲惨な運命を辿った中国人たちと同様、もはや死人でしかないということ―がよく理解できる。銃剣で自分と同じ人間の腹わたを引裂き、心臓をえぐり出す方法を若者たちに教えるような世界に住んでいることを知ったとき、果たして獣医はその後も、昔のように心安らかに猿に餌をやり、猿と戯れることができるだろうか。>>


 たしか、「村上文学はなぜアラブでは訳されないのか、そこに問題点がある」という指摘が誰か学者からされていたと思う。これはそれへの答えではないにせよ、一つの示唆であると思った。

 菅井は、この文章を菅井自身が村上春樹の小説に向かう感じにちかい
と読んだ。



PS ブログ漂流の最新版が「ムラガミハルキの冒険」だった。イカフライさんの村上批判と関係あるのだろうが、このシリーズにしては珍しく、わらってしまうおもしろさだった。