よくがんばっている

小沢一郎は依然、民主党党首を保っている。自民党のなりふりかまわない攻撃と宣伝、自陣営内に一部動揺があるにもかかわらず。これはは菅井の予想外である。
このことは、彼が自分の置かれている特異な立場をしっかりと自覚していることを示していると思うが、よくやっている。政権交代から新しい日本の変革への可能性は、民主党の姿勢にかかっており、それを代表、支えているのは、小沢一郎のリーダーシップである。
彼が自民党から出ている不法攻撃に屈する形で辞任するなら、この変革の可能性は消滅する。他の可能性は当面ない。日本の変革は、数十年単位で先送りされてしまうだろう。
この、不当な政治弾圧のしかけは、辻元清美鈴木宗男の時にはよく我々にはわからなかったが、今はわかる。ロッキード事件の田中起訴にも、そのような政治的意味があり、それは、岸信介A級戦犯として収監しながら、アメリカの方針で不起訴処分にして、政治権力につけたことと同質のものであったことも。
歴史は、血肉感情をそなえた具体的な人間の、個別的な決断によって変化しうるけれど、根本的なところでは、諸階級の政治によって決定されている。
自民党の今やっていることは、彼らの権力を失うことに対する危機感がいかに大きいかを示していると同時に、それが、国民の意識を操作することのみに向かっていて、現実をきちんと変えることには少しも向かっていないことをさらしている。彼らは選挙で負けなければあとはどうでもよいのである。そして、巨額のおもいつき支出は、結局、社会における不公平の増大、さらなる特権の強化に向かっている。
国民は政治の主人公ではなく、支配、搾取の対象としてしか扱われていない。
かつての小泉郵政選挙での若者たちの小泉支持の票は、彼たちにとっては、政治の主人公としての若者の台頭と感じられていたはずであるのに・・・。


他にも書きたいことはあるのだが、まだ言葉にできない。現実はもちろん、単純ではない。一つの物語で済ませるものでもない。でも、物語なしで済ませるものでもない。生きてている人間たちがいるかぎり。